【INTERVIEW】吉野大作 / 1978~85年、GOM、後退青年、そして、プロスティチュートのこと

吉野大作アー写

70年代横浜の重要なギタリスト、朝山孝や、久保田麻琴から絶賛された伝説のロック・バンド“Oh!朝バンド”の谷川秀行らを擁し、名盤『ランプ製造工場』(1974年)を残した吉野大作バンド。それから一変、70年代後半から80年代になるとパンクやニューウェーブの影響を受けた“GOM”、“後退青年”、そして、“プロスティチュート”へと変わっていく。本年3月と4月にそれらの初出となる未発表ライブ音源が発売されたのを機に、吉野大作に話を訊いた。

(2025年5月オンライン取材:金野篤)


以前からのファンの中には、「吉野大作が16ビートをやっている」と驚いた人もいたようです

–:1974年から始まった吉野大作バンドの活動が78年に終わりますが。[参考:吉野大作、初期の活動について
吉野大作(以下吉野):当時、作っていた歌を中心に、ライブハウスで1人で歌っていました。大作バンドで演奏していた場所はもちろんのこと、横浜以外にも足を運びました。宇都宮の仮面館や渋谷のアピアなどのライブが印象に残っています。
–:そしてすぐにまたバンド、GOMを始めます。

GOMアー写

GOM


吉野:横浜日ノ出町のグッピーで知り合ったメンバーが中心ですが、ベースの堤トシフミ君は神山峰郎(ギター)君の友人の紹介だったと思います。もう一人のギター、佐藤ヨシカズ君も神山君の知り合いでした。ドラムの付岡オサム君(故人)は、やはりグッピーのライブで顔見知りでした。
–:GOMは、まず70年代後半のフュージョンの影響を感じます。吉野さんには似つかわしくない感じが、なぜ?って。
吉野:広い意味で、16ビート系の音楽といった方が、理解しやすいかもしれないですね。実は、77年にエルビス・コステロがデビューしていて、78年の初来日も観に行き、あのようなサウンドやメッセージに興味があったのです。まあ、しかし意に反してアレンジそのものは、GOM風の16ビートでありました。以前からのファンの中には、「吉野大作が16ビートをやっている」と驚いた人もいたようです。この頃のいわゆるフュージョンのレコードは全く持っていませんが、あえて挙げるなら70年代前半のリトル・フィートあたりの音が頭の中にあったかもしれません。もちろんメンバーのことは分かりませんが……。

GOMライブフライヤー

–:同時にパンクも?
吉野:GOMをやりながらも、すでに英国系のサウンドに興味は確実に移行していましたね。
–:今回発売されたCDアルバム『LIVE 1978-79』に、その後に続く重要曲である「後ろ姿の素敵な僕たち」と「光り輝く場所へ」が収録されました。
吉野:「後ろ姿の素敵な僕たち」を最初に演奏したのはGOMですが、歌詞の内容を含めてプロスティチュートでもやりたいと思い、いわゆるワン・コードで完全な別バージヨンとして蘇らせました。「光り輝く場所へ」は、当時いつもライブに来てくれた古いファン、彼も故人になってしまいましたが、ソロ・ライブでも必ずこの曲をリクエストしてくれたので、それがきっかけでアコギ系の8ビートの音にアレンジして、現在でも続いているわけです。
–:ところで、78年といえば吉野さんの活動拠点でもあった横浜野外音楽堂が閉鎖となります。

横浜野音

横浜野音


吉野:横浜野音は、日比谷野音、京大西部講堂と共に日本ロックの三大聖地といわれ、数多くのコンサートが開催され、横浜ロックを語るうえで欠かせない場所です。70年代初め、ここで見たスピード・グルー&シンキの演奏には度肝を抜かれましたよ。当時、横浜のロック・バンドは公共のホールから閉め出された状態が続いていて、その中で、紅葉坂の教育会館と、野音はライブができる貴重な空間でした。横浜市の野音の担当部署が、ロックに対してして寛容だったということもありましたけどね。知り合いが「横浜野音を守る会」を結成して、歴史的建物を守ろうとする有志や建築家も巻き込み、横浜市当局と折衝を行いつつ、活動を継続してきましたが、78年夏の終わりについに閉鎖になりました。横浜スタジアムが建設されるため、横浜公園における建ぺい率の関係で野音は解体せざるをえない、というのが当局の言い分でした。それは、もっともらしく聞こえますが、実際には、プロ野球観戦が行われているすぐ隣で、ロックの轟音が鳴り響き、長髪のよからぬ輩が集まるのはいかがなものか、との意見が根強くあったということです。その後、別の場所に新たな野音が建設される予定のはずですが、実現していません。
–:そしてGOMが終ります。
吉野:GOMは、短い活動期間でしたが、自分の方向性としては、例えば英国系のサウンドが頭にあったので、79年初頭に自然消滅した感じでしょうか。スタジオ録音を全く残していないことが、悔やまれますね。

GOMライブフライヤー

–:ロンドンやニューヨークのパンクをどう見ていましたか?
吉野:パンク・ムーブメントですが、その原初的な破壊衝動について意識はしていました。でもパンク・バンドのレコードはあまり持っていませんでした。この時は、フランク・ザッパをよく聴いていました。『ジョーのガレージ』が出た頃ですね。80年代になってリリースされた『たどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船』(1982年)は、しばしば聴いていました。

時代が、あるいは個人が閉塞感に覆われると、それを打破する衝動が、湧き起こらざるを得ないのではないでしょうか。

–:そして後退青年となります。
吉野:結成が79年、最初のライブはこの年の7月のことです。GOMの神山君(ギター)と付岡君(ドラム)の2人は、引き続きメンバーとなりました。ベースのHIGENO君は、神山君の紹介。もう一人のリード・ギター、金井太郎君は、横浜駅西口のサマーディという店で知り合いました。彼はその後もずっと私の多くのアルバムのアレンジとギターを担当してくれることになりました。

後退青年アー写

後退青年


–:後退青年では『ランプ製造工場』以来ですかね、自主制作でシングル(「Michiko」アルタミラ・レコード)を作りますね。 
吉野:そう79年、『ランプ製造工場』と同じく東芝EMIの特販部でレコードを作ってもらって、横浜市内のレコード店に卸したり、ライブハウスで販売していました。
–:この80年前後、時代のスピード感すごかったですよね
吉野:確かにさまざまなところでスピード感が増したような気がしましたね。あんまり関係ないけれども、例えば、NHKのアナウンサーの喋りが、気のせいか結構早くなったように感じました。
–:この頃、パンクとダダイズムについて言われていましたね。
吉野:既成概念の破壊という観点から見ると共通項があると思います。時代が、あるいは個人が閉塞感に覆われると、それを打破する衝動が、湧き起こらざるを得ないのではないでしょうか。
–:具体的にどんなバンドを聴いてましたか?
吉野:先ほど言ったように、ザッパを集めていたので、実は、パンクやニューウェイブ的なものの影響は、わりと薄かったかもしれないですね。その類いのレコードも今は手元にはありませんが、ただギャング・オブ・フォーの『エンターテインメント』だけは探しまくって手に入れ、今も持っています。機会があれば、1曲だけでもカバーしたいですね。
–:ライナーノーツに自ら記されていますが現代音楽やフリー・ジャズなども好きだったと?
吉野:70年代にNHKのFMで、現代音楽をしばしば放送していたので、それを聴いていました。また、いまだに処分せずに残っているレコードの中には、『シュトックハウゼン作品集』(現代音楽の精華3)がありますが、A面の「コンタクテ(1960)」という作品に現れているように、電子音楽、今でいうシンセサイザー・サウンドですが、それと人間そのものの演奏を融合させようとする強い意志が感じられます。また「ELECTRONIC MUSIC (邦題「テープ音楽集」)」(現代音楽の精華4)のA面1曲目に収録されている「フォンタナ・ミックス」は、ジョン・ケージの作品ですが、ビートルズの「レボルーション9」に多大な影響を及ぼしていると考えています。オーネット・コールマンのレコードも、これまた処分することなく何枚も持っています。同様に、マイルス・ディヴィスの『ビッチェス・ブルー』以降の、俗に言うエレクトリック・マイルス作品も、まだ持っています。
話は、ちょっと外れますが、マイルスなどの多くのアーティストには共通する点があるかと思います。つまり、マイルスのような大御所になれば、聴き手がよく知っている曲を演奏しつつ、様々な場所を周ることも容易で、楽なはずなのに、『オン・ザ・コーナー』のような作品を出したり、『アガルタ』『パンゲア』の壮大な世界を表現したりする。そして『スター・ピープル』といった、いわゆるコンタクトを暗示するアルバムまで制作してしまう。要するに今の自己を保持し続けることに耐えきれず、常に進化していなければ納得できないのだと思います。他に例を挙げればキリがないですが、ジェフ・ベックもそのうちの1人で、しばしばメンバーを入れ替えて、自分から変化を作り出している。例えば、ベースのタル・ウィルケンフェルドと、ずっと一緒に演奏するのだろうと思っていたところ、ロンダ・スミスに変わっていたりする。自分から現状を打破し続けているのだと思います。……、そういえば、マイルスがフィルモア・イーストでジミ・ヘンドリックスを見た時、ジミの「マシンガン」を聴いて、マイルスが「今オレがやりたいのはこういうサウンドだよ!」と言ったとのことですが、もし2人の共演が実現していたら、絶対に見たかったですね。想像するに、強力なファンク・ビートを展開したと思います。


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『LIVE 1980-85』 吉野大作 & プロスティチュートアートワーク
『LIVE 1980-85』
/ 吉野大作 & プロスティチュート
2025年3/19リリース
フォーマット:2CD
レーベル:SUPER FUJI DISCS
カタログNo.:FJSP527
【TrackList】
DISC-1
01. 死ぬまで踊り続けて
02. FROGS
03. M.U.R.A.
04. FALLING HEAVEN
05. 試験管の嵐
06. ジグラットの魔女狩り
07. ここ、そして、ここじゃない場所 
08. そしてストリート・カーはゆっくり走る
09. MUTANT PUBへようこそ
10. AI O ITAMU UTA
[BONUS TRACK]
11. AI O ITAMU UTA [EP Version 1980]
DISC-2
01. エグゾポタミーの悪霊たち
02. 皮膚と骨の隙間に
03. 冷たい十字路
04. サーカス小屋から逃げ出す動物たちに捧ぐ
05. MISSING
06. FOZZDELIC FARM
07. 十二番目のジャガー
08. 涙ぐむ火山を見つめて
09. 後ろ姿の素敵な僕たち
10. ハルマゲドン
[BONUS TRACK]
11. FROGS [EP Version 1980]
ディスクユニオン
Amazon

【クレジット】
80.9 新宿ロフト 81.6 渋谷屋根裏 81.7 法政大学・学館ホール 81.12 新宿ロフト 82.5 京都拾得 83.8 山口県宇部市文化会館 83.10 目黒鹿鳴館 84.4 横浜シェルガーデン 85.11 東京造形大などのライブから選曲・編集
編集・マスタリング:George Mori
デザイン:ダダオ
解説:吉野大作

吉野大作 Vocal, Electric Guitar
東條A機 Electric Guitar
高橋ヨーカイ Bass
時岡秀雄 Sax
横山孝二 Drums




『LIVE 1978-79』吉野大作&GOM、吉野大作&後退青年アートワーク
『LIVE 1978-79』
/ 吉野大作&GOM、吉野大作&後退青年
2025年4/23リリース
フォーマット:2CD
レーベル:SUPER FUJI DISCS
カタログNo.:FJSP529
【TrackList】
DISC-1
[吉野大作 & GOM LIVE 1978]
01. 後ろ姿の素敵な僕たち
02. 賭博師のブルース
03. 朝のバスのブルース
04. 光り輝く場所へ
05. イッツ・オールライト・ジョン
06. 叫び声
07. ブルースを聞かせてくれ
[吉野大作 & ホワイト・ラビッツ STUDIO 2021]
08. 氷の上の街
09. 聞け、悲しみの歌
10. 鐘の音は絶え間なく
11. 追いかけても
12. 影さえも残さずに
13. 月の夜のいくつかの夢
14. 馬車馬の想い出
DISC-2
[吉野大作 & 後退青年 LIVE 1979]
01. この世はロック&ロール
02. Michiko
03. 後退青年
04. 街は病気だよ
05. 不滅の男
06. 放蕩息子の帰還
07. MUTANT PUBへようこそ
08. Michiko *STUDIO 1979 SINGLE VERSION
[吉野大作 & ホワイト・ラビッツ STUDIO 2021]
09. 影が呼んでいる
10. 曲がりくねったハイウェイ
11. 地下鉄の線路の上に
12. 雨よ降れ
13. 古びた木靴と帆のない舟
14. かすかな炎
15. 丘の上の小さな墓
16. 暗闇の中で
ディスクユニオン
Amazon

【クレジット】
DISC-1:
M1-4 横浜教育会館 1978年10月
M5-7 横浜国立大学 1978年11月
吉野大作 Vocal, Electric Guitar
佐藤ヨシカズ Electric Guitar
神山峰郎 Electric Guitar
堤トシフミ Bass
付岡オサム Drums
DISC-2:
M1, 2 横浜国立大学 1979年10月
M3-7 関東学院大学 1979年11月
M8 横浜FLAT STUDIO 1979年10月
吉野大作 Vocal
金井太郎 Electric Guitar
神山峰郎 Electric Guitar
HIGENO Bass
付岡オサム Drums




created by Rinker
Zach Top
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2025.5.31 21:00

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