【INTERVIEW】吉野大作

ジャックス meets 夕焼け楽団、と評された名盤『吉野大作ランプ製造工場』。その演奏メンバーによる1974年の未発表ライブが発見され、さらに同時期の未発表曲を本人が再演した最新録音、この2つを1枚のCDに編集した『子供たちが跳び出してくる』が発売となる。1970年前後より現在に至るまでロックを続ける吉野大作に、フォーク・ロック、ポスト・パンク、アシッド・ブルース、などと変わり続け捉えどころなかった自身の音楽のこと、ゴールデン・カップスやパワーハウスに続く横浜ロックの第2世代として、その当時のシーンにことを中心に話を聞いた。

URC系の日本語フォーク、とくにプロテスト・ソングはよく聴いていましたし、実際に観に行っていました

–:1stアルバム『吉野大作の少年時代』(1973年)にはアメリカン・ロック、あるいはボブ・ディランなどが感じられますが、このあたりの話から聞かせてください。
吉野大作(以下Y):まずはビートルズ、なかでもジョン・レノンが好きでした。ボブ・ディランも10代の頃から自分で日本語の歌詞を作って歌っていました。60年代は、ブリティッシュ系ロック、P.P.M.(ピーター、ポール&マリー)や、オーティス・レディングなどを聴いていましたが、70年代前後から、ザ・バンドやグレイトフル・デッド、ニール・ヤングなどアメリカン・ロックのレコードも集めていました。
–:吉野さんは、日本のグループサウンズのコレクターとしても知られていますね。
Y:GSについては、エレキの大音響や長髪など一般社会から拒絶された部分、つまり既成概念を逸脱した現象となっていたことにシンパシーを感じていましたが、一方で彼らが演奏していた、ブルース進行の曲が、自然と体の中に染み付いて今に至っています。スパイダースの「ブーン・ブーン」、ゴールデン・カップスの「モジョ・ワーキン」に「ウォーキン・ブルース」、ジャガーズの「C・Cライダー」などの曲です。あとは、URC系の日本語フォーク、とくにプロテスト・ソングはよく聴いていましたし、実際に観に行っていました。
–:そして、吉野さんの歌詞には、漂うような大きな叙情性があり、しかしよく分からないパンキッシュな面もあります。詩人というべきロック詩です。どんな本を読んで、また映画や美術の影響がありましたか。
Y:小説については、近代から現代の作品を乱読していましたが、日本人以外では、フランス人の作家の作品をよく読みました。とくにシュルレアリスム、ダダイズム系の作品です。 映像は、若い頃は社会派の監督のものを観る機会が多かったのですが、最近は近未来の、あるいは超古代を描いた作品が、増えています。絵画は、やはりシュルレアリスム系の画家が好きです。まさに「美とは驚異である」という言葉を喚起させ、想像力を膨らませてくれます。いずれも、意識の奥まったところで、きっと通底するものがあると思います。



オリジナル曲を理解してくれたメンバーに出会ったことが大きな要素であったと思っています

–:さて、そして大学入学で横浜に来たわけですが、その頃はどんな感じだったのでしょう。
Y:1970年になると、GSも衰退期に入り、壊れかかったものを必死で抑えていたような印象でした。カップスの解散が72年正月ということですので、その前にカップスを見ていますが、アメリカン・ロック的なサウンドだったと記憶しています。多くのGSが消えていくなかで、いわゆるニュー・ロック期へと移行しつつある萌芽があった時期のような気がします。 
–:大学生時代に自分のバンドを始められますが、どんなことを考え、何を目指そうとしましたか。
Y:70年当時、おぼろげながら、ジャックスのようなバンドができたら良いなと思っていましたが、自分で詞と曲を作っていたので、結局その作品を演奏することが中心になりました。オリジナル曲を理解してくれたメンバーに出会ったことが大きな要素であったと思っています。結果的に1stアルバム「吉野大作の少年時代」につながった訳です。
–:まだライブハウスが無かった頃ですが。
Y:(日ノ出町のライブハウス)グッピーのマスターに伺ったことがありますが、70年代前半においては、横浜のロックの状況に関して、(曙町にあったロック喫茶)クレオのマスターの存在が大きく、多くのコンサートの中心となって「運動」を支えていたとのことです。そこはロックの新しいレコードをかけるのみならず、コンサート・スタッフやミュージシャンたちの一つの拠点として機能していたようです。「クレオ」ではアコースティック・ライヴが開かれ、自分も何度かギター1本で歌ったことがありますが、ドラム・セットが置けるスペースがなかったと記憶しています。



パンクには、「ダダ」的な要素があると感じていたので、自分には合っていたのだと思います

–:そして今回発売される『子供たちが跳び出してくる』に収録されたのが、1974年、同じ曙町のグリーンピースでのライブ録音です。
Y:クレオに集っていた「Oh!朝バンド」のギター、ボーカルであったタニジ(谷川秀行)が中心となって、開店したライブハウスです。オリジナル曲が演奏できることをメインしたスペースとしては、おそらく横浜初であったと思います。当時、都内で活躍していたミュージシャンも多く出演していましたが、様々な要因もあり残念ながら短命に終わりました。

グリーンピースでのライブフライヤー




–:それに続くのがグッピーですね。
Y:既にロック喫茶として営業していましたが、グリーンピースが閉店した後の75年正月から「サンデー・ライブ」としてバンド演奏を始めます。自分は1974年10月には『吉野大作ランプ製造工場』をリリースしており、オリジナル・ロックを重視するマスターの方針とも合い、何度も出演することになりました。結局、2010年のグッピー閉店まで付き合いは続きました。
–:その『吉野大作ランプ製造工場』の録音に参加した1974年の吉野大作バンドのメンバーを紹介してください。
Y:リード・ギターの朝山(孝)君は同学年で、ベースの田尻(裕)君は後輩。ドラムの谷川(秀行)君はクレオで知り合いバンドに参加しました。この時のライブの時点で、平均年齢が22.5歳です。
–:その頃の同世代のバンドだと、李世福さん、ですかね。それと、どんなバンドと交流がありましたか。
Y:李さんとは、70年代以来、横浜のコンサートで何度も共演させてもらいました。それから、大学で知り合った音羽信さんを通して、久保田麻琴と夕焼け楽団の方々とも当時交流がありました。
音羽さんは、最初学園祭で共演して知り合ったと記憶していますが、その後、クレオのギターライブでも何度か一緒になっています。「Oh!朝バンド」の谷川君とは、そのクレオで顔見知りになりました。彼が吉野大作バンドでドラムを叩くようになったのは、クレオ主催の「バース・アワー・アース」というコンサートが大学で開催されたとき、共演したのが、きっかけになったと思います。「ボブズフィッシュマーケット」や、「野毛ハーレム」のメンバーとは、グッピーで知り合っています。
–:70年代後半から80年代になると「GOM」、「後退青年」、「プロスティチュート」と、パンクやアヴァンギャルド色が強くなります。
Y:1970年前後にNHK-FMで現代音楽を放送していた番組があって、それを度々聴いていたので、前衛音楽関連については、割とスムーズに入ってきました。ジョン・ケージのレコード『フォンタナ・ミックス』も持っていましたし、あと、ジョン・レノンの「レボルーション9」もよく聞いていましたから…。パンクには、「ダダ」的な要素があると感じていたので、自分には合っていたのだと思います。
吉野大作バンドの後の1977年に「GOM」を結成し翌78年に解散します。この時期の音源は未発表ですが、歌はソロ期に引き継がれているものもあります。「後退青年」は、1978年末から1980年初めまで実質1年強の活動でした。いわゆるパンク的なサウンド、バンド形態でしたが、1980年の「プロスティチュート」結成の前に解散しています。

*「後退青年」は、その後再結成し1989年と1994年に2枚のCDアルバムを残す。「プロスティチュート」の4枚のフル・アルバムの制作のほかに、1997年に、吉野大作&サンライズ・タウン・バンド『もう一度おれにブルースを』、同年、『神曲』(近藤等則、石塚俊明参加)、1999年、吉野大作&飛兎楽団『年表』、2001年、吉野大作&飛兎楽団『チャイナ・イルージョン』、2005年、『永遠の雨』、2012年、『あの町の灯りが見えるまで』、2017年、『朽ち果てた館で』を発表している。




残された人生のなかで、そのうちのいくつかをなんとか形にしようと思い立ったという訳です

–:ところで、吉野さんは以前、予備校の漢文の先生をしていたことでも知られていますが、音楽活動と、どのように上手くやってきたのでしょうか。
Y:どちらも自分の興味のあることなので、意識することなく自然に継続できたと思っています。70歳を過ぎた今は、音楽や作詞、原稿等がメインです。
漢文講師と音楽活動との関係から、少し触れておきますと、例えば、初期のボブ・ディランと、唐の白居易の作品では、プロテスト・ソングという側面でたいへん似通った部分があり、詩人としての共通項を見出すことができます。また、杜甫の作品には、P.P.M.の「悲惨な戦争」とそっくりなシチュエーションが描かれているものがあり、とても驚かされます。
–:『子供たちが跳び出してくる』に収めた70年代に作られ、これまで発表することなかった曲を今年2021年に新たに録音したものが、何とも若々しくヴィヴィッドに響きます。
Y:現在から70年代を振り返ってみると、質の良し悪しは別にして最も多くの歌を作っていた時期かなと思います。そのため、最早忘れているものもありました。このままただ捨てられ燃やされていくのも至極哀しいことなので、残された人生のなかで、そのうちのいくつかをなんとか形にしようと思い立ったという訳です。幸いにも現代では、Macを用いてレコーディングできる環境がありますので、実現した次第です。根強いアナログ・ファンには拒まれそうですが、文明の利器(?)のおかげでしょうかね。

インタビュー:金野篤



『子供たちが跳び出してくる』
/ 吉野大作
2021年12/15リリース
フォーマット:CD
レーベル:SUPER FUJI DISCS
カタログNo.:FJSP447
【Track List】
01. あの丘から遠く離れて
02. 朝の讃歌
03. 特急列車に乗って
04. 風の街から
05. 六月の空
06. 流れにそって
07. 朝陽のように
08. 穴の空いた靴
09. 六月の追憶
10. ブロンドの海
11. 落ちてゆく日々
12. 子供たちが跳び出してくる
13. ラヴ・ソングをおまえに
14. 悪い夢を見た
15. 凍てつく季節の前に
ディスクユニオン



2021.11.28 12:00

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