【INTERVIEW】NAYUTAH 父・砂川正和を聴く

日本最高のソウル・シンガー、砂川正和(1956-2004)。ソー・バッド・レビュー解散(1976年)後、ソロ活動を始めた1977年と78年のライブ・テープが発見され、さらに忌野清志郎が参加した1983年の音源を加え編集した「ライブ!砂川正和」が2枚組CDで発売された。
この機に、砂川正和を父に持つNAYUTAH(2018年、DJ KAWASAKI、沖野修也、MURO、RYUHEI THE MANのプロダクションで鮮烈デビューした歌手、ダンサー)に、このライブ・アルバムをどう聴いたか、話を訊いた。

だから亡くなってからですね、すごいシンガーだと分かったのは

-:シンガーであるお父さん、つまり砂川(正和)さんのことは、家の中では意識されていましたか?
NAYUTAH(以下 N):私が生まれてからは、ほとんどライブやってなかったので、母(柳田知子、ダンサー)と結婚してからは、太鼓を叩いているところしか見てないんですよ、アフリカン・ドラム、ジンベですね。歌は、私が少し大きくなってからですが、太鼓を叩きながら歌う姿は見ていました。
-:ソー・バッド・レビューの話も家ではなかったんですね。
N: 全く知らなかったんです。90年代半ばくらいでしたか、また徐々にギター弾きだしたり、昔のバンドの方と一緒にやったり、歌うんだって、それくらいですね。母からもそういう話はなかったですね。
葬式が豪華で、来てくださった方がすごい人ばかりで。亡くなってから、父はすごい人だったのかということを知りました。私が10歳、父が48歳でした。
後になってから父が自主制作で出したCD(「FUNKY PEACE」1996年)を聴いたり、だから亡くなってからですね、すごいシンガーだと分かったのは。金子マリさんからだったり、周りから話を聞かされて、それでソー・バッド・レビューや父のやってた昔のアルバムが家の中から出てきて、シンガーなんだ、ミュージシャンなんだと初めて認識したのが12、3歳のときでした。そしてそこに関わっている人たちのことを知って。
-:すごいミュージシャンばかりですからね。
N: それで父のコアなファンの方々が今もいるということを15歳くらいで知りました。
-:NAYUTAHさん自身が音楽に目覚めたのは?
N: 音楽自体は、それこそ生まれた瞬間から西アフリカの音楽が家にはもうずっと常にあって、踊りも気づいたらやっていたので、音楽は当たり前のもので、聴くものというより日常的にありましたね。
あと、父と母がやっていたドラムとダンスのチーム(WALK TALK)の遠征がすごく多くて北海道から奄美大島まで一緒で、その車の中で、アル・グリーンやウィルソン・ピケットが流れていて、子供のころから自然に聴いてたんですね。誰々を聴きたいというのではなく、ただただ音楽を浴びて育ったんです。
-:その中でも特に、ソウルやR&Bが多かったんですね。
N: 今の仕事始めてから、つまりクラブに行き始めてから、この曲ってこういう人たちのなんだっていうのが、ようやく帳尻が合って分かったわけなんです。



本質的な父の歌を聴いてもらえるのは今回のライブ・アルバムだと思います

-:ところで、今回発売されたCDは、お母さんから提供いただいたカセットテープを元に編集したのですが、その存在は知っていましたか?
N: テープのことは母も知らなかったんですよ。この話をいただいてから家の中を探そうとして、そのときホントにたまたまポンとすぐに出て来たんですよ、これが。
-:3本ありました。
N: 常にそこにはあったんだけど、誰もその存在は知らなかったんですね。
-:不思議ですね。
N: 全く知らなかった父の時代がこのテープにある、このことも不思議でした。
-:この録音は、ソー・バッドが終って、砂川正和がソロ活動を始めたときのもの。編集してマスタリングが出来て真っ先にお母さまに送ったら、これが本当の砂川正和、彼がやりたかったことだって、すぐ返事が来たんです。NAYUTAHさんは聴いてみてどうでしたか?
N: 砂川正和というシンガーが、これからだってときのものだと思いましたね。ソー・バッドとも全く違う特にエネルギー感というか、それを超えて、これから自分の歌をソウルをやっていきたいというような強い力を感じました。コールド・ラビッシュのメンバーと演っているサイド(Disc2)では、高校時代の自分、ホームな感じがあって、緊張していないのが声に出ていてですね、Disc1とは全然違うんですよ。
-:そうなんです。Disc1と2、演目がけっこう被っているのに、違うものになってるんです。
N: もちろんバックの音が違うからなんだろうけど、父の歌い方がですね、40代になってから細かいテクニックを得たときのものとは違って、本当に、この瞬間瞬間、このメンバーと演っているのが楽しいんだろうなって、それが目の前に見える、音として聴いてそれが見えてくるんです。これが父にとって青春なんだろうなって。
-:ソー・バッドのときが10代で、このころもまだ21か22歳ですからね。
N: 細かいこと気にせずにパッションで歌っていますね。それがこんなに声に出る人ってすごいなと思いました。
-:とにかく、熱いです。この熱さは、高校時代から大阪では評判だったわけですからね。
N: ソウルが好きでその歌い方を真似して歌うシンガーは今もいますが、父は真似してるレベルではなくて、それを体現して、そのままソウルとして歌っているんだなあって。アフロ・アメリカンのカルチャーが好きでそこにいるんじゃなくて、そこに生まれていてもおかしくない、たまたま肌の色が違っただけでね。
-:思い返すと、私の以前の勤務先(ディスクユニオンDIW)の隣のデスクが手代木隆平(RYUHEI THE MAN)さんで、新人出すんですよ、と教えてくれたのが、NAYUTAHさん。彼のレーベルの第1弾でね。アリソン・ウィリアムズみたいですごいよ、と返すと、ソー・バッド・レビューのボーカルの娘さんです、と言われるやいなや、家に砂川さんのテープあるかどうか、すぐ電話して!って、それが2018年で、そしてようやく今回の発売となったのでした。
N: はい、私のレコードを出してくれて、それで父の昔の音源が世に出るなんて全く考えてなかったので感慨深いです。ご縁がこんなにも身近なところで出来て、それとタイミングですね。
-:去年、まさかのソー・バッド・レビューのデビュー直後のライブ音源が発売されたり。




N: ソー・バッドは1人1人の個性が強すぎて、あれだけ個性の強い父でも霞んでしまうくらい百獣の王が8人いるバンドですよね。皆さんが知っているのは、ソー・バッドの砂川正和なんでしょうけど、本質的な父の歌を聴いてもらえるのは今回のライブ・アルバムだと思います。



これは、アナログ7インチで出してほしいくらいです。出さないと祟られるくらいのいいテイクですよ

-:このCD聴いて、これは!っていうのはありましたか?
N: まずは、今回、初めて出ることになった石田(長生)さんが作った曲ですね。
-:「駄目なものは駄目」ですね、曲調もサザン・ソウルで。
N: 歌詞は今の時代にはそぐわないかもしれませんが、サビのところの言葉の使い方が、ほとんど洋楽しか聴かない私にもハマって聞こえて、これが当時出ていたら違ってたんじゃないかと思いましたね。
-:「A Change Is Gonna Come」は?カバーですが代表曲ともいえる。
N: この曲は父の色んなヴァージョンを聴いてるんですよ。その時々の心情が歌に乗っているので、どれも違っていて。
-:お母さまによると、この歌詞は砂川さんがどうしても日本語で歌いたいと、信頼している(ソー・バッド・レビューのジャケットなどを手掛けた)デザイナーの日下潤一さんに英訳してもらい、その原文のフィーリングを大事に書き出したそうです。これがね、また。
N: (オリジナルの)サム・クックのメッセージと哀愁をきっちり伝えてますよね。



-:歌い出し、♪か・わ・の~♪と、いきなり掴まれます。
N: ここは難しいはずなんですよ、洋楽の日本語歌詞ってダサくなりがちなところなんですけど。ここは父が歌っているからこそだと思うんですが、音のひとつひとつ、子音と母音の出し方を変に英語っぽくせずに、日本語なんだけど、そこにグルーヴ感があって、そして哀愁もある。
-:演歌的な哀愁じゃなく……
N: ソウルの哀愁。おそらく自分で気づいてないだけで、実はすごいことやっているんです。日本のソウル・シンガーとして成すべきことをやったったぜ、という。
-:それが良く表れた録音なんですよね。
N: これは、アナログ7インチで出してほしいくらいです。出さないと祟られるくらいのいいテイクですよ。
-:いいアイデアです! やりましょうか。これがA面として、じゃあB面は?
N: Disc2の「Something You Got」ですかね、これは、そのまんまの父の声なんです。こっちは演奏がコールド・ラビッシュなんで肩の力が抜けてて、声がきれいに出ていて、ヌケもいいですね。
-:しかし、、砂川さんの「A Change Is Gonna Come」、♪川の~♪の「か」と「わ」と「の」の間、この間は何なんでしょうね、天まで突き抜けるような。



N: これは私自身がプロになってから聴き方や着眼点が変わってきたんですが、ビブラートのかけ方とか、父に似てるなあって。父の追悼ライブのときに、金子マリさんと一緒に私も歌ったんですが、そのとき出演してくれた三宅伸治さんに、似てるよね、って言われたんです。その細かいところや、しゃくり上げた歌い方とかですね。他の人が普通に歌うと出ないものが、父にとっては、この歌い方がナチュラルなんですね、わざとじゃないんだと。最初からピッチを当てるんじゃなく、ちょっと下から♪ウォーンってしゃくりながら入るんですよね。これはソウルが好きだからこそなんですね。今ここに父がいたら、このことを熱く語りたいですね。父と母のバックグラウンドであったソウルR&Bが私の体にあることで、今、私が日本語でシティポップっぽいものやファンクを歌うときに、やろうと思っても出来ないちょっとレイドバック気味なリズムが、私に染みついていることで、普通に歌うことと2つの味の付け方が出来ること、そうやって影響を受けたことも父に言いたいですね。

(聞き手:金野篤)





【NAYUTAH】
1994年生まれ、東京都出身の歌手/ダンサー/振付師。芸名は本名の那由他に由来。日・英・韓・西の4ヵ国語を操るマルチリンガル。両親の影響で3歳から西アフリカの伝統舞踊を踊り始め、舞台にも立つ。14歳より歌い始め、亀渕友香に師事。DJ KAWASAKIにデモテープを渡したのを機に、2018年に7インチ「GIRL/見知らぬ街」でデビュー。2020年12月に1stアルバム『NAYUTAH』をリリース。




【砂川正和】
高校在学中の1973年、地元大阪で活躍していた上田正樹とサウス・トゥ・サウスをお手本に、ソウル・バンド、コールド・ラビッシュで音楽活動を始め、その熱くギンギンしたライブに、早くも”日本のウィルソン・ピケット”と騒がれる。74年よりソロ活動、ビートの乗りとノド声気味のシャウトが全くの黒人の感覚でその迫力がさらなる評判を呼び、75年秋に、スーパー・ソウル・ファンク・バンド、ソー・バッド・レビューに参加、わずか1年の活動だったが、そこで、ソウル・ボーカリストとして決定的な人気と評価を得、伝説となった。その後、ナスティ・チェインを率いソロ活動を続け、80年、石田長生、金子マリらとのThe Voice & Rhythmに参加。2004年没。



『LIVE!砂川正和』
/ 砂川正和
2023年4/12リリース
フォーマット:2CD
レーベルBRIDGE
カタログNo.:BRIDGE378
【Track List】
CD1:
砂川正和 & Nasty Chain
01. Opening ~ Introduction
02. Too Many Hands
03. Something You Got
04. Mercy, Mercy
05. School Days
06. Precious Precious
07. Take Me To The River
08. Georgia On My Mind
09. Holdin On To A Dying Love
10. I Can’t Make It Alone
11. You Can’t Keep Running From My Love
12. 青洟小僧
13. The Dark End Of The Street
14. 駄目なものは駄目
15. A Change Is Gonna Come
CD2:
砂川正和 セッション with Cold Rubbish
01. Something You Got
02. Mercy, Mercy
03. Everybody Sing
04. The Dark End Of The Street
05. Precious Precious
06. Too Many Hands
07. School Days
08. You Can’t Keep Running From My Love
09. I Die A Little Each Day
10. I Can’t Make It Alone
11. Holdin On To A Dying Love
12. God Blessed Our Love
ディスクユニオン
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【クレジット】
CD1
Recorded live on 29 Apr 1978 at 東京 上馬 ガソリンアレイ
with Nasty Chain
明石惠:Guitar
青柳林:Bass
橋本章司:Drums
古川秀哉:Piano

CD2
Recorded live on 19 Nov 1977 at 京都 磔磔
with Cold Rubbish
萩原義郎:Guitar
ウエノマサハル:Guitar
永井哲:Bass
田中宏明:Drums
渡邊悟:Erectric Piano, Organ
脇本忍:Chorus, Vocal

編集・マスタリング:George Mori
写真:糸川燿史
デザイン:ダダオ
解説:妹尾みえ


2023.5.15 18:00

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