【INTERVIEW】チャールズ清水「マイナー・ブルース&メジャー・デュース」発売、インタビュー

中学生でデビュー、中西康晴(上田正樹とサウス・トゥ・サウス)、国分輝幸(ソー・バッド・レビュー)と3大天才ピアニストと騒がれ、アイドルワイルド・サウス、ソー・バッド・レビュー、ブルーヘヴンを渡り歩き、また、セッション・プレイヤーとして70〜90年代の日本のブルースやロック・シーンに無くてはならないキーボーディスト、チャールズ清水。その唯一のソロ・アルバム「マイナー・ブルース」(1978年ビクター/ロフト・セッションズ・シリーズ)が、自身がフィーチャーされた1979年から2014年までのほぼ未発表の選りすぐりオール・タイム・ベストのライブ音源12曲からなるボーナス・ディスクを附し、2枚組のデラックス・エディションとして初CD化された。
この機に、ブルース・ピアニストに留まらないこの2枚のディスクについて、チャールズ清水に訊いてみた。
(取材:金野篤)

その当時の作品は『マイナー・ブルース』でも一部演っています

-:まずは、ディスク1「マイナー・ブルース」から話を伺います。これは1978年4月のライブ録音ですが、この時期はブルーヘヴンで活動中の頃ですね。
チャールズ清水(以下、清水):そうです。アメリカに留学するので、ソー・バッド・レビューを辞めたのは76年の8月、すぐ父親が亡くなって1年で帰国し、ICU(国際基督教大学)に編入したのが翌年の9月だからブルーヘヴンはそれ以降、77年からですね、永井(ホトケ隆)さんから誘われて。
-:オリジナルLPのクレジットによると4月に4日間、ライブをやっていますね。これは、レコード発売の企画が先で、そのためのライブだったんですか。



清水:下北沢ロフトで2日間、新宿ロフトで2日間だったかな。ライブハウスのロフトが無名の新人アーティストを世に出すことに主眼を置いた独自のレーベルを立ち上げたんです。竹内まりやさんとかもいたかな。自分もその内の1人だったわけですが、ライブ録音というのは、予算の関係もあったんでしょう。今から思えば、何で自分が選ばれたかよく覚えてないですが。その頃は西岡恭蔵さんや加川良さんや友部正人さんなど、いわゆる関西のフォーク・ムーブメントで活躍している方々との交流も結構ありました。中でも特に大塚まさじさんとは、ライブやレコーディングなどを通じて、ご一緒させてもらう機会がたくさん生まれました。
-:阿部登さんのオレンジ・レコードですね。
清水:最初が、ソー・バッド・レビューにいた17歳のとき、金森幸介さんの録音に参加しました(『少年』1976年)。幸介さんとは、京大の西部講堂でトム・ウェイツの前座を務める機会がありましてね。楽屋から舞台の袖に移るまで、私と普通の会話をしていたのですが、ステージに上がった瞬間、あの酔いどれの風貌に一変したんです。すごいパフォーマーだな~という強烈な印象を受け、今もその時の光景が鮮明に脳裏に焼き付いています。
-:この頃、曲は書いていたんですか?
清水:その前から結構書いていました。その当時の作品は『マイナー・ブルース』でも一部演っています。
-:ソー・バッドの前のアイドルワイルド・サウスの「マイ・ダディ」が、そうですね。
清水:その曲は松浦善博さんとの共作なんですが、彼とは私が通っていた神戸のインターナショナル・スクールに彼が編入してきて、そこで知り合い、親しくなりました。その彼から今度バンド始めるからと誘われたのが、アイドルワイルド・サウスです。
-:それが最初のバンドですね。
清水:いや、その前にも中学生の頃から色んなバンドに参加していました。その詳細は『マイナー・ブルース』のブックレットに「バンド仲間達へ」という題で手書きしたサンキューノートに書き出しています。そのうちの1つであるウィンディ・スープっていうグループのボーカリストの1人であった福井めぐみさんの歌詞に私が曲を付けたのが、北京一さんのボーカルをフィーチャーするバラードとしてソー・バッド・レビューのオリジナルアルバムに収録した「ここを過ぎて悲しみの街」です。他にも、色んな曲を当時から作っていました。
-:それが『マイナー・ブルース』になった。
清水:いや、ここに収録した大部分は、このプロジェクトのために書き下ろし作品です。



それが、アルバム・タイトルを『マイナー(=未成年)・ブルース』にした所以です

-:このアルバムで特長的なのが、10代の人が作ったとは思えないポピュラー音楽の歴史みたいなものが感じられることなんです、ホーギー・カーマイケルが作りそうな曲だったり。
清水:それは、子供の頃からインターナショナル・スクールの合唱団のピアノ伴奏とかやらされてきたことに大いに関係があると思います。世界の民謡から「恋は水色」のような当時のポップスまで、その合唱団のレパートリーは本当に多彩でした。11、2歳の頃は、シカゴやブラッド・スウェット&ティアーズといったジャズロックが特に好きでしたね。でも実際、プログレもウェストコーストもヘビーロックも何も関係なく、ジャンルなんて全く意識せずに面白いと思えたものには何でも入り込んでいました。
-:ブルースはどうして知ったんですか。
清水:それはやっぱりアイドルワイドル・サウスで、オールマン・ブラザーズのカバーとかを演るようになってからですね。彼らが取り上げていたブルースの原曲を掘り下げていく中で、エルモア・ジェームスやTボーン・ウォーカーといったレジェンドたちを知るようになりました。
-:それらがアルバム作りに影響された。
清水:それはあるでしょうね、いろいろな要素が混ざっていると思います。
-:わかりやすいところでいうとナット・キング・コールだったり。
清水:ピアノ弾きながら歌うというスタイルを確立した先駆者の1人として、私の中ではレイ・チャールズと並んで、ナット・キング・コールの存在は大きいですね。彼は特にジャズやブルースをベースにした曲を、当時あったいわゆる黒人向けや白人向けといった音楽カテゴリーを超越したポピュラーミュージックの代表的なスタンダード・ナンバーとして広く親しまれるようにした点で大きな功績があると思います。もちろんソー・バッド・レビューやブルーヘヴンで、より黒人音楽に傾倒していくんですが、この過程でその音楽の背景にある社会問題についても学ぶようになりました。特に高校の時に授業で読まされた黒人小説家のラルフ・エリソン『見えない人間』を通じて知るようになった黒人差別の実態にとても衝撃を受け、ここに着想を得て作ったのが、ソー・バッド・レビュー用に書いたの「透明人間」の歌詞です。
-:3曲目「ジャパニーズ・ロンリー・ブラザー」は最大のタブーですよね。
清水:歳が近いということもあって、そこに親近感を覚えながら、彼を題材にした曲を書いてみたいなと思いました。中国人の父と日本人だけれど満州で生まれ育った母の下に生まれた自分はどうしても、純粋の日本人とは少し異なる視点を持っていたのかもしれませんが、みな平等であるはずの民主主義の中で1人だけ全く違う社会的地位が保証されている人が同世代にいるという疑問をベースにして、それをカリカチュアしてみようと試みたのがこの作品です。
-:この日のライブ録音、メンバーの人選はどのように?予め考えはあったんですか。
清水:まずはリズム・セクションですね。この頃、私がいた関西の音楽シーンで最強だと思っていたのが、サウス・トゥ・サウスの藤井裕と正木五郎、ソー・バッドだと永本忠とベーカー土居、そしてウェストロード・ブルース・バンドの小堀正と松本照夫。この3組のどれかと一緒に演りたいと思ったんです。で、ブルーヘヴンで一緒だった小堀さんに相談し、次に松本さんに声をかけ、さらに山岸潤史さんも誘えば、永井ホトケさんと塩次伸二さんのいないウェストロードになるなと。
-:このとき、チャールズさんは、まだ19歳ですよね。
清水:そうです。まだ成人になる前。それが、アルバム・タイトルを『マイナー(=未成年)・ブルース』にした所以です。
-:10代が作るアルバムじゃないですよね。
清水:子供の頃から色んな西洋音楽を触れる環境にあったのが大きいかもしれません。カーメン・キャバレロなどのムード音楽やヘンリー・マンシーニの映画挿入歌、アンディ・ウィリアムスやパット・ブーンといった歌謡ポップスとかも家では普通に流れていました。それと腹違いの兄がジャズ・マニアでね。カウント・ベイシーなんかをしょっちゅう聞かされました。また同時に、自分は自分で映画館に1人で観に行ったウッドストックに触発され、レット・イット・ビーに心を揺さぶられ、エルビス・オン・ステージで不思議な感動を覚えたりしていました。このように幅広いスタイルの音楽に幼い頃から接してきたことで、どれにも自然に溶け込める素地が自分の中にできていたように思います。
-:このアルバム全体的に感じられる国籍不明な感じ、それが自然と出たということなんでしょうね。あと、オリジナルLPのインナーに先日亡くなられた田川律さんやミュージシャンの方々に混じって英語のコメントがありますが、この方は誰ですか?
清水:それは、リチャード・ジャンボーさんという高校の時の政治科目の先生で、米国のポリティカル・サイエンスに目を開かせてくれた恩人ですね。先日、久しぶりに読み返したら、結びで「つづける、man!」と書いてくださっているのを見て、胸が熱くなりました。また、田川さんの長文メッセージを読む返した時、45年経った今の私にも問い掛けてくださっているように思えて、涙が止まりませんでした。
-:「マイナーブルース」で始まり最後はそのリプリーズで終わる、この構成、ライブ当日も、このとおりだったんですか。
清水:そうです。ライブでは、アルバムには収録しなかったトム・ウェイツの「オール55」やランディ・ニューマンの「ショート・ピープル」といったカバー曲を挟んでいましたね、
-:ロフト・レーベルは、この「マイナー・ブルース」が最後なんですよ、カタログの。後は続かなかった。
清水:僕が潰しちゃったのか、ハハハ。でもね、青山のパイドパイパーハウスで、このLPが大きくディスプレイされていたのを見て、何かえらいことになってきたぞ~と、キツネにつままれたような感覚に陥ったのをよく覚えていますよ。

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『MINOR BLUES AND MAJOR DUES』
/ チャールズ清水
2023年2/22リリース
フォーマット:2CD
レーベル:BRIDGE
カタログNo.:BRIDGE355
【Track List】
・CD1「MINOR BLUES」
1. MINOR BLUES
2. ある愛の詩
3. JAPANESE LONELY BROTHER
4. 透明人間
5. 大阪 ― LOS ANGELES
6. MY DADDY
7. 続ける
8. MINOR BLUES (REPRISE)
・CD2「MAJOR DUES」
01. ブルーヘヴン/MINOR BLUES [1980年3月 渋谷屋根裏]
02. アイドルワイルド・サウス/MY DADDY [1999年 神戸チキンジョージ]
03. アイドルワイルド・サウス/台風 [1998年5月 新宿パワーステーション]
04. チャールズ清水/座椅子オバアチャン [1980年 吉祥寺のろ]
05. 友部正人 with チャールズ清水/西の空に陽が落ちて [1987年9月 有楽町読売ホール]
06. ブルーヘヴン/I HEAR YOU KNOCKING [1980年3月 渋谷屋根裏]
07. ブレイクダウン feat. チャールズ清水/WELCOME TO BOURBON HOUSE [1986年6月 梅田バーボンハウス]
08. ブレイクダウン feat. チャールズ清水/I CAN’T PLEASE YOU [1986年6月 梅田バーボンハウス]
09. 砂川正和&ブレイクダウンwith チャールズ清水/IN THE MIDNIGHT HOUR [1979年12月 高円寺次郎吉]
10. 大塚まさじ with チャールズ清水/エピソード [2000年5月 服部緑地野外音楽堂”春一番”]
11. ソー・バッド・レビュー/透明人間 [2014年7月 渋谷duo MUSIC EXCHANGE]
12. ブルース・ジャム/MINOR BLUES [1979年2月 高円寺次郎吉]

解説:永井ホトケ隆、吾妻光良、妹尾みえ
マスタリング:George Mori
ディスク1「マイナーブルース」はオリジナル・マスターテープよりマスタリング。

オンラインストア(BRIDGE)
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2023.4.2 12:00

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