【INTERVIEW】黒色エレジー、27年ぶりリリース。その監修者イトケンとギターICHIROHに聞く


予算の無い中、いつも焦り、あがきながらジャケットも創っていました(ICHIROH)

-:トランス・レコードから発売した経緯は?
ICHIROH:オムニバス用の2曲をレコーディングして、皆手応えを感じていたのでしょうか、その後もスタジオで曲を作り続け、1年ほど経って4曲入り12インチ(『黒色エレジー』秘曲館レコード、1986年)を創りました。この音楽は残さなければと思ったのです。このときも、これで終わるかもしれない、と思っていました。出来上がったレコードを、いくつかの雑誌社に送ったところ、フールズメイト傘下のトランス・レコードよりオムニバス・レコード(「NG II」1987年)参加やライブ・イベント出演のオファーがあり、そこからトランス・レコードとの付き合いが始まりました。トランスのイベントに呼ばれると、そのギャラで、高速代とガソリン代くらいになったので、おもにトランスのイベントに合わせてツアーを組んでいました。トランスから単独で12インチ(TRANS29「黒色エレジー」1988年)も出しましたが、1st12インチと同じ倉敷のスタジオで仕上げて音源を送りました。ジャケットの素材もこちらで北斎の龍にオーバーラップさせた写真を創ったものを渡しました。デザインはトランスですが、表と裏の写真は逆に指定したのですが、やはりこうなったか、と納得しました。龍の顔が表の方がウケそうだとは思いましたが、龍の顔の方を裏にして胴体だけの方を表にした方が、なにか気配を感じさせるデザインになるのではと、最初は考えていたのです。



-:今回発売したCDのジャケットにも流用しましたが、1st12インチのアートワークについて、そのアイデアは?
ICHIROH:これもあまり言いたくないんですが、寺山修司の影響が大きですね。たまたま身の回りにあったものをブリコラージュしたらああなったのです。まず廃線になって錆びついたレールのある風景、雑貨屋をやっていた友人が店を畳んだ時にもらった、マネキンの手や柱時計など。そして、キョウコに一眼レフカメラを借りて、使い方もよくわからないまま、撮影しました。レコードにとってジャケットは、ものすごく重要でレコードへの憧れの多くを占めていました。予算の無い中、いつも焦り、あがきながらジャケットも創っていました。LPレコードは、創るのにお金がかかりますが、あの大きさのビジュアルが、良かったのです。ジャケットから取り出して、レコードを聴くことは、小さな儀式だったのです。その後CDが主流になり、今はネットで何処でも手軽に音楽が聴けますが、失ったものも大きいように思います。



-:活動拠点を東京にと、考えなかったのでしょうか。
ICHIROH:岡山と東京間で大阪、京都、名古屋など挟んで、年間3、4回ツアーをしてまわる生活を3年ほど続けた後、1年ほど東京に拠点を移しましたが、私が、続けられなくなり抜ける事になります。当時は空前のバンド・ブームでインディーズ・シーンからもメジャー・デビュー・ラッシュで、バンドに未練もあったのですが、情熱が冷めていったのも事実です。原宿のホコテン(縁日の屋台のようにバンドが並んで同時に演奏していた)が絶頂期で、あれを見た時なんとも言えない寂しい気持ちになり、終わったな、と思いました。その後、私は岡山に帰ったのでそれ以降は、わかりません。
-:キョウコさんとの“Harpy”に至る経緯を教えてください。ここではキョウコさん、ギターやってますね。“OOIOO(1995~)”についても。
イトケン:Harpyの結成は1992年で、初ライブが1993年ですね。黒色エレジーを前のバンドでイベントに誘ったあたりから、色々音楽の話とかするようになり、意外と音楽の趣味が合ったので、何かやろうという話で結成に至ったような。ICHIROHさんが言ってたように実験的なことが好きなんですよね、聴く音楽も。キョウコちゃんのギターは、演奏技術は全くないと言ってよいレベルです!出来る事をやるスタイルだったかなー。
ICHIROHさんが抜けた後に黒色エレジーでもギターやってましたよね。そこでも開放弦多めのプレーだったかと思いますよ。
OOIOO、元はヨシミちゃんの写真撮影があるから架空のバンドをでっち上げようという話から集まった集団。ヨシミちゃんとキョウコちゃんは、年代は違うんですけど岡山の同じ高校だったはず。
-:1993年、SSEから「エソデリック・マニア」として編集盤CDが発売となります。
ICHIROH:トランス・レコードの再発の一環だったと思います。この際だからと、マルチ・トラックでスタジオ・レコーディングした音源は、全部入れてます。曲順も録音した順です。「神々のレース」と「虹と蛇のブルース」は、東京でレコーディングしてますが、マスターが手に入らずレコードから取り込んだはずです。その他は、全部倉敷のStudio Pitでエンジニアは、すべて川上さんです。川上さんにDATに落としてもらって、送った記憶があります。今にして思えば、あの時代に岡山で16トラックのレコーディングが出来ていたことが奇跡です。



ベース、ギターの弦楽器の絡みとか、ドラム含めた リズム的なアプローチの多彩さ。そこに乗っかってくるボーカルの自由さ、など この人たちにしか出来ない表現だったんだなと思いました(イトケン)

-:イトケンさんは、このマスタリングに関わったと伺っていますが。
イトケン:当時まだマスタリングというモノが珍しくてついて行ったのかな。関わったというより同席した程度です。まだ音がどうこうというよりアナログから音吸い上げる作業とかしか覚えてない…。北村(昌士)さんとエンジニアの方とキョウコちゃんと俺とSSEの方、とかでしたかねー。
俺、北村さんと干支も誕生日も血液型も一緒なんですよね…。
ICHIROH:ちなみに「エソデリック・マニア」というタイトルは、岡山のライブハウス、ペパーランドのマスター、能勢伊勢雄さんより頂いたものです。エソテリック(秘教)とサイケデリックを掛けた造語で、音楽評論も多く手掛け、『新・音楽の解読:ダダ/インダストリアル/神秘主義/ハウス/ドローンまで、誰も教えない音楽史』という本も出しています。真のエソデリック・マニアとは、能勢さん本人であることは、言うまでもありません。



-:それから27年、今回のCD発売に向け、その曲目編成についての考えをお知らせください。また、ライブ音源の選曲についても。
ICHIROH:スタジオ盤(ディスク1)の収録曲は、「エソデリック・マニア」と同じですが、曲順は変えたほうが、また新鮮に聴こえるのではないかと。悩みましたが、完全にシャッフルすると音質面でデコボコになりそうで、レコード単位で入れ替えています。
ライブ盤(ディスク2)は、カセットテープで、大量に出ては来ましたが、良いものがほとんどなく、比較的バランスの良かった、エッグプラント(大阪)と、どん底ハウス(京都)から選曲しました。古いカセットテープで状態もよくなかったのですが、マスタリングでがんばって良くしていただいたと感謝しています。30年以上前の出土品ということで、大目にみてください。
イトケン:リバーブの感じとかは時代を感じる部分ありますが、芯になる部分は時代を超越 しているなと思いました。
-:今回のマスタリング作業では立ち合っていただきました。
イトケン:スタジオ音源に関してはほぼピースミュージック中村宗一郎さんにお任せの状態でしたね。90年代、あまりマスタリングという概念のない時代のリリースのリマスター なので、今まで聞こえてなかった部分などを顕にしてくれた中村さんに感謝です。
ライブ音源もこの手の発掘に慣れている中村氏、こちらも思ったとおりのマスタリングになっておりました。
-:改めて聴いてみていかがでしょうか。
イトケン:当時はバンドとしてのカッコよさで十分に楽しめていましたが、いろいろと音楽的な経験を経て改めて聴くと、ベース、ギターの弦楽器の絡みとか、ドラム含めた リズム的なアプローチの多彩さ。そこに乗っかってくるボーカルの自由さ、など この人たちにしか出来ない表現だったんだなと思いました。
ICHIROH:最後に、今回CDリリースに携わってくれた皆さんに感謝を申し上げます。ありがとうございました。
キョウコが、此処にいないのが寂しいですが、音楽の中に今も彼女は、生きており新たな出逢いを、産み続けていくでしょう。

進行・まとめ:金野篤




『Kokushoku Elegy』
/ 黒色エレジー
2020年12/30リリース
フォーマット:2CD/デジタル配信
レーベル:SUPER FUJI DISCS
カタログNo.:FJSP419
【Track List】
Disc 1[STUDIO]:
01.訪れざる宴
02.満月の夜
03.Warrior
04.Goddess
05.花粉犯罪
06.夢の成る頃
07.安息日
08.鵼鵺の想い
09.邪宗門
10.太陽眼
11.サンストローク
12.揺籃の刻
13.神々のレース
14.虹と蛇のブルース
Disc 2[LIVE]:
01.Crepuscular Rays
02.Seiren
03.虹と蛇のブルース
04.Dear Sheba
05.青いダリア
06.鵼鵺の想い
07.Cosmictrigger
08.訪れざる宴
09.日々の泡
10.Goddess
11.神々のレース
12.夢の成る頃
ディスクユニオン



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2021.1.17 12:00

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