【INTERVIEW】李世福『LIVE 1976』
李世福は横浜に根づいた華僑2世のミュージシャン、チャイニーズ・ロックを掲げ、70年代は横浜野音、80年代はシェルガーデンを中心に活動を続けた。名優・松田優作にその音楽センスとギターを買われ、D.F.NUANCE BANDに加入、名曲「灰色の街」を共作。内田裕也との交遊では20年に渡りニュー・イヤー・ロック・フェスティバルに出演。ザ・ゴールデン・カップスのドキュメンタリー映画(2004年)では証言者として出演し多くの横浜のミュージシャンと旧知の仲である事などが知られ、また、エディ藩、陳信輝と一緒に紹介されることも多いが、これらは断片的な情報に過ぎない。そこからさらに掘り起こした、今回発売の「李世福コネクション/LIVE 1976」では、横浜が、ロンドン、リバプール、ニューヨーク、サンフランシスコと並ぶロック都市であることがわかるだろう(拙筆ながら私のライナーノーツを読んでいただきたい)。今なお横浜のロックは現在進行形である“スウィンギング・ヨコハマ”、本牧のゴールデン・カップやブギー・カフェ、中華街の李世福のアトリエなどを訪ねてほしい。
さて、本インタビューではライナーノーツでは触れなかった当時の想いや状況をさらに突っ込んで質問を試みた。
だから毎日ギターを弾いていたよね、面白くて面白くて。
- -:李世福コネクションの1976年のライブ音源がCDで発売されましたね!
- 李世福(以下、李):いやぁ。まさかっ!てね。あの時、今でもはっきり覚えているねえ、(横浜吉田町の)アラビアンナイトでライブやった時にカップルがカセットデッキを持ってきて録音を待ち構えている姿を思い出したけど、それがまさか大内彰子さん(李世福コネクションの70年代からのファンで、本音源が入ったカセットテープを提供してくれた方)がね、まだ学生だったんだろうね。まさか録っているとは思わなかったんだよ。それをずっと大事に持って聞いていてくれて、こういう事になるとはね。うれしいよ。思いもよらなかった。
- -:1970年代当時から、「李世福」というと横浜のロック好きな人達の間では有名であったと聞いています。でも映像や音源が非常に少なくて、李さん自身も所有していなかったとのことですが、今と違って録音するのは大変な事だったんでしょうか。
- 李:もう大掛かりだよね。録音するなんて言ったって、カセットで簡単には録れるとかじゃないからね。そういえばライブを録音した事もあったけどオープンリールだったからね。
- -:李さんは1970年に初めて渡米をしました。ただミュージシャンとしてのキャリアというのは1966年の12月から始まっているんですよね。
- 李:うん。
- -:それは李さんのお兄さんがギターで初めてバンドを組んで、李さんは何とその時はベース・ギター。他のメンバーはお友達ですか?
- 李:後は兄貴の友達兄弟だよね。俺も知り合いだったけど。俺は初めてのライブはベースだったんだ。すでにギターはバリバリ弾いていたけど、兄貴がギターを弾いていてドラムの人の弟がサイド・ギター。しょうがないといってはあれだけど、まぁいいかと。
- -:最初のライブからもうすでにギャラを貰ってたんですね。
- 李:そう。ドラムの人が「アヒョン!(李さんの兄の愛称)どこそこの会社のダンス・パーティでバンド演奏したら1万円くれる!」って言うからそれじゃぁやろうという話になってね。俺の兄貴とドラムの人は3千円ずつ。俺とドラムの弟は2千円ずつ。その頃の2千円ってでかいから。
- -:メンバーはみんな中国系の人ですか?
- 李:そうだね。そのサイド・ギターと弟のドラムの人は後にコルト45というバンドを作ったんだよね。
- -:その前にはギャラの発生しないアマチュアとしてのステージはあったのですか?
- 李:ステージは上がっていない。でもバリバリ弾いていたよ。そういえば、最初のその1966年のステージはベースだったけど……、ベースという意識はないんだよね。
- -:初めて手に入れたギターはグヤトーンだったと伺っていますが、いつ頃ですか。
- 李:中学2年の冬だよね、1964年。12月が誕生日だからまだ13歳だった。その時からギターばっかり弾いていたよ。ベースがなぜか家にあって遊びみたいな感じで弾いていたけど。
家ではアンプを通してやったよ。(中華街近くの横浜市立)港中学の友達が親から買ってもらったって、それで一緒にやったりね。それで卒業生を送る会に出る予定だったんだけどね。もうみんながんばって、先生まで張りきっちゃってさ。ベンチャーズの「キャラバン」や「逃亡者」は難しくて弾けなかったど、ほかのは弾けたね。 - -:その送る会はやらなかったんですよね。
- 李:教頭先生が反対しちゃったらしくてね。その時代はエレキは不良だというイメージがあって。それまでは家に集まって練習したんだけどね。だから毎日ギターを弾いていたよね、面白くて面白くて。
- -:そこにお兄さんも一緒にやったんですね。
- 李:そう。それでパーティに出たりしたもんね。1966年に最初のライブをやった後もパーティでの演奏によく呼ばれたよ。その後にレッド・シューズにも出たよ。兄貴の友達で華僑なんだけどアメリカン・スクールに行っている友達がいてその彼がボーカルをやりたいと言っていたから、ボーカルで入れたりして。彼はもちろんアメリカン・スクール行っていたから英語の歌は当たり前だけど得意だよね。
後から思ったよね、あぁ特別だったんだ。どこも一緒かなと思ったけど、一緒じゃなかったね。
- -:レッド・シューズは今のウィンド・ジャマーの所(横浜市中区山下町)でしたよね。その時もお兄さんとバンドを組んでいたんですか?
- 李:そう。でも毎日ではないよ、あそこはすごく恐い所だから。マーちゃんという友達がいてね。彼の友達のバンドが休みたいから代わりに出てくれといわれてギャラもくれるということで。レッド・シューズと聞いて恐いなぁと思ったけど、兄貴からは心配するなよと言ってくれてね。
- -:米兵が多かったんですか?
- 李:米兵はいない。米兵がいるのは本牧ゴールデンカップ。レッド・シューズはね、本当に不良っぽい人達、地元の不良だったり、よそから来る不良とか。よそから来る不良とかち合うと喧嘩になるよな。朝鮮系とかね。でも今思えばヤクザじゃないんだから子供だからね。
- -:その後、高校生になってそこから本格的に活動をすることになるんですよね。
- 李:そうだね。高校1年の前半くらいまでは兄貴とバンドを組んでいてパーティに呼ばれたりした。そういう仕事結構あったからね。その後は知り合いとバンドを組んだりとかしたよね。
- -:それはレッド・シューズやリバーサイドで?
- 李:兄貴とのバンドでレッド・シューズに出たのはその1回。リバーサイドはまだなかった。高校2年くらいの頃出来たと思う。リバーサイドは米兵が多かった。俺らはパーティーに呼ばれる仕事が多かったね。
- -:李さんは中学生から卓球をやっていて。武相高校に卓球の選手として引っ張られたくらい上手かったそうですね。でも入学してすぐ4月の末で卓球部をやめちゃうんですか?
- 李:結局両立ができないから。体力的ではなくて時間的にギターを弾く時間がなくなっちゃうから。
- -:卓球よりもギターを選んだわけですね。
- 李:迷ったけどね。やっぱり自分が小さい頃から歌や音楽が好きだったからね。
- -:それで高校に通いながら音楽活動が本格化するわけですけど、どんな活動でどこで主に演奏をしていたのですか?
- 李:東京のパーティとか。品川のホテルの経営者の集まりがあってさ、そういうのに呼ばれたんだよね。何でか分からないけれど兄貴がそういう仕事を取ってくるんだ。後はホームパーティなんかにも呼ばれたんだよね。千葉だったか栃木だったか、1泊でさ。兄貴はアメリカン・スクールに行ってたから知り合いも多くそれで仕事を得る事ができたんだろう。
- -:高校2年生になってリバーサイト(中区山下町、横浜中央病院の近くにあった)に出れるようになったんですね。
- 李:そうだね、楽しいじゃん。だってギャラもらえてさ。毎日女の子も来るし。でも3年生になるとリバーサイドはやっていないような気がするな。その年は仙台に呼ばれたんだ。ヨーハイ(横浜アメリカン・スクール)通ってる人でベースとヴォーカルが出来る黒人と、ドラムスに白人のメンバーに入れてね。仙台では3日間演奏したんだ。このメンバーで土曜と日曜に別の場所でファッション・ショーのステージをやってね。ドラムが白人でベースが黒人でしかも横浜から来たということでウケがよかったんだろうね。
- -:横浜というのは、当時は生まれ育った場所だから特にそういう意識ってなかったと言ってましたけれども、何年か経って周りを見てみると、やっぱり横浜は特別だと思ったと。それは今でも変わらないですか?
- 李:後から思ったよね、あぁ特別だったんだ。どこも一緒かなと思ったけど、一緒じゃなかったね。当たり前だけど。あんまりそういう意識ってないんだよ。違うのは分かってもそんなに俺たちの所は特別だってそういう意識ってないから。
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『LIVE 1976』
/ 李世福コネクション
2020年5/13リリース
フォーマット:CD
レーベル:SUPER FUJI DISCS
カタログNo.:FJSP391
価格:¥2,400(税抜)
【Track List】
01.Rock My Soul
02.Long Gone Memory
03.I Have To Forget
04.Moonlight Express
05.Members Introduction
06.Last Day
07.Spider In My Web
08.Wake Up Baby
09.It’s All To Us
10.I Know You
11.It’s No Good
ディスクユニオン
【李世福コネクション】
村上順一:Vocal
薛秀香:Guitar
李世福:Guitar
オイル平尾:Bass
野木三平:Drums
2020.6.15 12:00