【INTERVIEW】アイドルワイルド・サウス『LIVE -BETTER LATE THAN EVER-』発売 メンバー座談会
不思議やなあ。なんかいろいろと、コロコロ変わっていくところが。だから誰がメインのメンバーか分からん。みんなもうファミリーやね(清水)
- 森邊:トラックを買ったのは、契約金というか。ビクターとの契約金があったからあの2トンの箱を買ったんじゃないの?
- 清:全くその通り。
- 森邊:確かその時は、(東大阪の映画館でライブを催していた)永和ってあったじゃん、そこの関係でマネージャーがいたんだよ。あと神戸のけっこう酒癖の悪いやつとか。なんか長続きしなかったね、マネージャーは。
- 松浦善博(以下、松浦):最初のマネージャーは、福田信さん(のちにマザーエンタープライズの社長) 。その後、芦屋ボーズプロジェクトに所属して藤原さん(下の名前は失念しました)。レコード・デビュー後は、東京では元ウエストロード、紫のマネージャー武岡義明さんがヘルプしてくれました。それと手弁当でヘルプしてくれたRコーポレーションには、とても良くしてもらいました。それと三原君。酔っぱらいが誰だったか、僕の記憶にはありません。あの頃お酒飲めなかったので、酒席にはいないことが多く酒癖が悪いのが誰か知らんのです。
- 清水:そこでレコーディングの話が決まって、じゃあ、みんなで東京行くか!言うたんやね。
- 森邊:うん。それで原宿の南国酒家のビル、マンションの一室をビクターが持っていたから、そこで寝泊まりしてたかな~。
- 清水:俺もいっぺんアイドルワイルド・サウスで東京行ったことあるんだよな。青山VANホールでやったの覚えてません?
- 松浦:この東京ツアーはマネージャーの福田さんが企画して1975年8・8 ロック・デーの直後、チャールズがソーバッドに移る前のライブ。メンバーはチャールズ、ヒロ、ひっきゃん(東山光良)、今村のりよし、そして僕。青山VANホールと、どこかもう1か所……、これは失念。
- 森邊:俺は覚えてない。
- 清水:迫水さん、覚えてる?
- 迫水:覚えてない。東京の頃は参加してないもん。
- 清水:アイドルワイルド・サウスで東京行って、VANホール行って。松ちゃんと2人で。スタジオに行ったら、それこそ、はっぴいえんど関係の人たちがやっとってん。細野(晴臣)さんとか。なんかレコーディングしてて……。「ああ…この人らや!」と2人で言っていたのを覚えてる。
- 清:僕が青山で覚えてるのは、ウィーピングハープ妹尾さんとの対バンでのステージ、それはお客で見に行ったことがあります。
- 清水:ブイブイ言わせてたもんね。あの頃、東京で。
- 清:ドラムがヒロで、当時ベースはひっきゃんでした。
- 森邊:信(長谷部信)は抜けてたんだよね。
- 清:そうです。音的にもうプロ顔負けの演奏やったっていうのが記憶に残ってます。
- 森邊:俺もおった?
- 清:いたよ。ギターの一番若い子、神戸の。今村のりよしさんもいたよ。
- 清水:ひょっとしてそれは1999年の再結成?
- 森邊:違うな、絶対再結成ではないな
- 清水:再結成って2回あったやん。
- 森邊:1998年、パワーステーションでやったじゃん。
- 清水:うん。その時は野口(明彦)さんやんな?
- 森邊:それまでは再結成はないよ。
- 清水:でもチキンジョージでやったよね。難波さんとダブルキーボードで。
- 森邊:それは後じゃないかな、99年の。その時は池本じゃないもん。岡本だから。
- 清水:不思議やなあ。なんかいろいろと、コロコロ変わっていくところが。だから誰がメインのメンバーか分からん。みんなもうファミリーやね。そこが面白いね、このバンドは。
- 森邊:だからもう、あれだよね。オールマン・コネクションやね。
- 松浦:アイドルワイルド・サウスのメンバーは、新井康弘(Drs.)、池本忠則(Drs.)、今村のりよし(Gt.)、上田稔(Drs.)、岡本圭司(Drs.)、清昌弘(Bass & Vocal)、迫水泰裕(Lead Vocal)、チャールズ清水(Key. & Vocal)、難波正司(Key. & Vocal)、長谷部信(Bass)、東山光良(Bass)、藤井清和(Gt.)、松浦善博(Gt. & Vocal)、森邊浩章(Drs.)と、これだけ関わってくれました。そして、”Dedicated to brother Shin Hasebe”。
- 清水:ほんまにそうやね。バンドメンバーに色んな変遷がありましたが、レコード・デビューするきっかけは?
- 森邊:東京の音楽プロデューサーが大阪まで来たと思う、俺の記憶では。大阪のライブハウスでやってるところに来て、松浦が、ビクターがどうのこうのって言ってる人がいるって。お前それ詐欺ちゃうんか?!みたいな話をしたことがあるな。だってほら、訳のわからないの、いっぱいいたでしょ!
- 清水:今考えたら、当時いろんなバンドをそういう風に発掘して、世に出そうという空気はすごかったですよね。
- 森邊:俺の周りで出たのは、ウエストロードじゃないかな。薩摩(光二)さんが入ってたと思う。
- 清水:ウエストロードも色々変わっていくもんね。
- 森邊:(アルバム録音時の)東京の生活は結局、南国酒家のマンションにみんなで行って、共同生活。一番覚えてるのは、俺たちがレコーディングしている時、ディレクターだっためんたんぴんの洋ちゃん(池田洋一郎)とは別に、よくスタジオに居たビクターのプロデューサー、高垣健さんが「今から桑田のバンド(サザンオールスターズ)の録音に行かなきゃダメなんだけど、こっちもいいなぁ」と言われたこと、よく覚えてる。こっちの方が全然良いみたいな………。
- 清水:彼らが出てきたのも、ちょうどその頃やもんね。
- 清:(村上)ポンタさんが来た時の話、面白いよね。
- 森邊:ポンタさんとは顔見知りでいろんなところで一緒になって、楽屋とかで話したりしてたんだけど、いきなり売れ始めていた頃でね。俺たち、ちゃんとしたレコーディングやったことないから、録音のノウハウわかんないじゃん。なので、ドラムのチューニングをポンタさんに頼んだのよ。「2台のドラムの違いを出してくれ」ってお願いしたら、快く2台のチューニングをやってくれたわけよ。まあ、その後に会うたびに「俺をチューナーで呼んだのはお前らだけだ!」ってよく言っていた。
両方で言い合いした時に、ああすごい人生だったんだなと多分お互い思ったと思うんだけど(清)
- 清水:では、1976年にデビュー・アルバム「キープ・オン・トラッキン」を出してからの活動について、話を進めましょうか。
- 森邊:発売記念ライブは(東京)読売ホールと、神戸でもやったのかな?
- 清水:今回のライブ・アルバム用にライナーノーツをお願いした音楽ライターの増渕英紀さんから「こんなのあるんだけど」と、当時の読売ホールのポスターを見せてもらったんです。CDブックレットに入れるのに間に合わなかったんでA4サイズで復刻して、購入者特典として使わせてもらうことにしました。トレーラーの最後にも出てきます。
- 森邊:デビュー・アルバムは、そこそこ良い反響だったんじゃないのかな。確か湯川れい子さんが誉めてくれたと思う。
- 松浦:アルバムに寄せてくれたコメントは、水上はるこさん、大貫憲章さん、小倉エージん、増渕英紀さんです。湯川さんは他の所で書いてくださってるかも知れません。
- 清:ちなみにプロモーションでライブやったのは渋谷エピキュラス。松ちゃんがレコードまで出して作ったバンドはどんなバンドだと、戦々恐々としてか何かわからないんですけど、興味津々でいろんな人が来ていました。
- 森邊:確かその頃、(渋谷)屋根裏の記録作ったみたいなこともあるんやね。その当時の高円寺JIROKICHIの記録も作ったと思う、動員のね。
- 清:屋根裏では、入り口のところ階段だったんだけれども。お客さんが立ち見で、上まで来てたって言うのは覚えてますね、中に入らずに。
- 清水:その後、しばらくしてから翌(1977)年1月のレーナード・スキナードのコンサートに繋がるんですね?大阪は厚生年金(会館)でしたっけ。その時は俺も参加させてもらいました。でも東京ではやってない。今回のライブ・アルバムに収録した中野のサンプラザでの演奏が当時のアイドルワイルド・サウスとしては最後のステージになったのですか?
- 森邊:最後がいつか覚えてないんだよな~。で、あのまま続けていたら、レーナードの全米ツアーオープニングアクト、ほぼ決まってたらしいね。それは解散して知って。しばらくして松浦から何年後かに連絡があって。
- 松浦:最後は1977年2月28日の京都拾得。チャールズも参加した。レーナードとのアメリカツアーが実現していたら、どうなってたんだろうと考えると???やね。
- 清:壊れた瞬間は鮮明に覚えているんだけれども、絶対に言いたくない(笑)。
- 清水:辛い思い出ももちろんあったと思います。でもそれはそれでその時の状況の中で起きたことでしょうし、そういう時期も経て今があると思いますしね。
- 森邊:それから20数年も後に日清パワーステーションや神戸チキンジョージで再結成をやったっていうのも、不思議といえば不思議だよね。もう別に昔のことは、俺は忘れているんだよね。何があったのか。
- 清水:清さんはその頃はもうやめて、違う仕事されてはったんですよね?
- 清:そうです。アイドルで解散とはっきりわかった後は、音楽関連、ベースギターも合わせて手元からもう無くしました。もう2度と音楽はするかい!と。不思議なもんやね。
- 清水:正直やったんやな。純粋というか。
- 清:それとやっぱ一番大きかったのが、プライベートですが、子供が出来たっていうのがね。音楽を辞めた人生と、音楽をやり続けた森邊浩章。何十年後かに会った時に、個人的にだけど、ヒロの生き方には感動したね。別に飲んでないけど(笑)。だから今でも付き合いが出来てると思う。どうやって生きてきたって両方で言い合いした時に、ああすごい人生だったんだなと多分お互い思ったと思うんだけど。
- 清水:そうですね、みんな色々あって今に至っていますよね。でもこうやってこの歳になって、数十年ぶりに旧交を温める機会ができて、いざ再会してみると、すぐ戻れるますもんね、当時の感覚に。自然にこうやって話せるのはすごいなあ。
- 森邊:みんながさ、好きなものが、それぞれ趣味があるけど、そこでは一致する訳だよね。
- 清水:それだけオールマン・ブラザーズっていうのは幅広かったわけだよね、音楽的にね。だから、清さんはもうその時に解散してから一旦音楽を絶った。迫水さんはどうだったのですか?辞めてから就職とかしてたけど、音楽はやってたのですか?
- 迫水:オールマンのユニット組んだことあったけど、ハモンド買って。でも長続きしなかった。後、トリオでしばらくやってましたけど、それは全く趣味の範囲でした。音楽は、スパっと切られへんかった。それにヒロさんとは、神戸帰ってくる時に会ってたし。僕も4~5年前からボイストレーニングやり出して……。もう62になるから、もうちょっと本格的にしたいと思ってね、残り人生。まさに”Better Late Than Ever”、そんな感じですね。
- 清:俺は55歳ぐらいの時に、どうしようって考え出して……。先日のライブで一緒にやったギターの佐野智矩君とは、初対面の時、SG弾く姿を見て「スライド、うわーっ」となって。それから数ヶ月後、迫水がボーカルのバンドを(神戸三宮の)IZNTでやって。12~3年前の話ですけど。
- 清水:若い人にもやっぱり聴いてもらいたいし、逆に彼らからも教わりたい。そして当時の我々のスピリットだけでも継いでいってもらえたらな~、とそんな気持ちになってきました。
- 清:アイドルワイルド・サウス、松ちゃんのイメージがあるけど、特異なバンドやったかなあと……。色んな音楽の種類が含まれているんだけど、別個のような感じでね。それが先日チキンジョージでこのメンバー(森邊浩章、迫水泰裕、岡本圭司、チャールズ清水、他)が集まってやったライブ(2023年5/29「ALLMAN KOBE CONNECTION」)に100人近くも観に来てくれるとは思ってなかったんですけど。
- 迫水:そのライブ企画、次も考えたいと思います。プロモーションもちゃんとして。
- 清:ところで、このライブ・アルバムの曲順、流れなんですけど、オープニング・アクトからあの曲の順番が、ストーリーがあるなと思った。
- 迫水:チャールズのアイデアですね、時間を遡って……という。
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『LIVE-BETTER LATE THAN NEVER-』
/ アイドルワイルド・サウス
2023年6/28リリース
フォーマット:2CD
レーベル:BRIDGE
カタログNo.:BRIDGE387
【Track List】
Disc 1
01. M.C. by Leon Wilkson & Artimus Pyle of Lynyrd Skynyrd
02. 忘れないでおくれ
03. My Daddy
04. Wasted Words
05. Son of Jump
06. Five Long Years
07. Sunshine Special
08. Hey Good Looking
09. Peach County Jamboree
10. The Letter
11. Kiss the Blues Goodbye
12. あいつ~デュアンに捧ぐ
13. Statesboro Blues
14. ハイウェイ・バウンド
Disc 2
01. Introduction
02. ~今日もオイラは
03. Done Somebody Wrong
04. Stormy Monday
05. Midnight Rider
06. 台風
07. オレンジ色の神戸
08. Don’t Want You No More
09. It’s Not My Cross to Bear
10. In Memory of Elizabeth Reed
11. Better Late Than Never
ディスクユニオン
Amazon
【クレジット】
Disc 1:
[M1-3, 12-14]
1977年1月14日 中野サンプラザ・ホール
松浦善博:Vocal, guitar
藤井清和:Guitar
清昌弘:Bass, vocal
難波正司:Piano, organ, synthesizer
森邊浩章:Drums
池本忠則:Drums
[M4, 6, 8, 10]
1974年10月10日 第1回 ロック・イン・六甲(神戸大学学園祭)
松浦善博:Guitar, vocal
迫水泰裕:Vocal, harp
長谷部信:Bass
チャールズ清水:Piano, vocal
新井康弘:Drums
上田稔:Drums
[M5, 7, 9, 11]
1975年4月13日 永和東映劇場(東大阪市)
松浦善博:Guitar, vocal
迫水泰裕:Vocal, harp
長谷部信:Bass
チャールズ清水:Electric piano, vocal
森邊浩章:Drums
Disc 2:
[M1, 2, 6-10]
1999年10月29日 チキンジョージ(神戸)
松浦善博:Guitar, vocal
東山光良:Bass
難波正司:Electric piano
チャールズ清水:Organ, vocal
森邊浩章:Drums
岡本圭司:Drums as supporting member
今村のりよし:Guitar as supporting member
編集・マスタリング:George Mori
デザイン:ダダオ
解説:増渕英紀、オリジナルメンバー回想録
2023.9.3 12:00
カテゴリ:INTERVIEW, PU1, PU2, PU3_ タグ:JAPAN, アイドルワイルド・サウス
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