【INTERVIEW】チャールズ清水「マイナー・ブルース&メジャー・デュース」発売、インタビュー


そうした皆さんのプロジェクトに参加することで、これまで知らなかった世界を見せてもらい、とても刺激になっていました

-:さて、ディスク2は、「メジャー・デュース」と題し、自身が関わった音源を集めた12曲。それぞれのバンドについて伺います。まずはブルーヘヴン。ソー・バッド・レビューの次に参加したバンドですね。
清水:そうですね、東京で初めて加わったバンドです。1977年に始まり80年頃まで続きました。
-:ブルーヘヴンは、ご自身にとって、どのようなものだったのでしょう。
清水:ここで、本当の意味でのブルースの洗礼を受けましたね。永井(ホトケ隆)さんと吾妻(光良)さんがブルースにとても造詣が深かったので、この2人から多くを学びました。それから我々が根城にしていた下北沢のストンプという店があって、マネージャーの正井(芳幸)さんが経営してたんですが、そこで沢山のレコードを聴かせてもらいましたし、周りには、妹尾隆一郎さんのローラーコースターなども居て、シカゴからミシシッピまで改めて勉強し直す、とても有意義な学習期間でした。
-:1曲目、永井さんが歌う「マイナー・ブルース」。
清水:有難いことに、バンドのレパートリーに加えてくださっていたんです。演奏を始める前の彼特有の毒舌がとても笑えたので、これを1曲目にするのがシャレになると思い、即決しました。
-:この曲、CDの最後には同じ時期ながら吾妻さんの代わりに石田長生さんが参加した演奏を収めました。
清水:これは、セッションですね。当時はこのようなセッションが頻繁にあり、東京では特に(高円寺の)次郎吉がそういう場を数多く提供してくれていました。このテイクは、全く覚えてなかったんですが、私にとってはとても貴重な演奏なので、よく音源が残っていたと思います。
-:ブルーヘヴンからもう1曲、6曲目に収録したスマイリー・ルイス作の「アイ・ヒアー・ユー・ノッキン」では清水さんがボーカル取っておられますが…。



清水:この頃のライブはたいてい2部構成でして、1部では大体私が、2部では吾妻さんがそれぞれ1曲ずつボーカルを取ることが慣例になっていました。これはその当時、バンドで比較的すぐに演奏できるように、あまり込み入った構成ではない3コード系のナンバーを中心に、自分でも唄えそうなカバー曲を見つけ、自分自身のブルース・レパートリーを増やしたいと思っていた時に出会った1曲です。同じニューオリンズ生まれの楽曲でもケイジャン寄りではない、もっと昔のどっしりした3連形のナンバーで、全体的にカラッと明るい感じが気に入っていました。あの頃、ジメジメした暗い感じの曲は、うまく消化して表現するのがまだ難しいと自分では思っていました。
-:で、次がアイドルワイルド・サウス。松浦さんとの共作の「マイ・ダディ」と「台風」、90年代の再結成ライブからです。「マイ・ダディ」は本来、松浦さんがボーカルですが、ここでは清水さんがボーカル。



清水:このテイクは、神戸チキンジョージの再結成ライブで、アンコールが来た時に、松浦さんの提案で、私がメイン・ボーカルを取るパターンでもう一度演奏することになった時のものです。
-:ライブ本編では、レコード通り松浦さんのボーカルで、このテイクをディスクユニオンの特典CDRに入れたんですね。
清水:こちらの方がライブ本編でやっている分、全体的にもう少し緊張感があって、バンド・サウンドもしっかりまとまっていました。どっちのテイクを今回のアルバムに入れるべきか、かなり迷ったのですが、ここでネタ明かしをしますと「メジャー・デュース」は6曲目までが、他の人と自分のボーカルが交互に来るように編成したいと考えていたので、この曲は私がメインで唄っている方を収録することにしました。
-:なるほど、それは気づかなかったです。
清水:5曲目の友部正人さんとのデュオをここに挟んだのは、その前の「座椅子オバアチャン」から流れをガラリと変えたいと思ったからなんです。その次から怒涛のブルースとR&Bの演奏が続くので、できるだけ異質なアクセントを入れたかったのです。この曲が始まってすぐに聞こえてくる友部さんの歌声を聴いた時、これだ!と思いましたね。
-:いい流れになりました。気づかなかったくらいがちょうどいい編成なんですね。
清水:その後の曲の並べ方については、派手なブレイクダウンとのトラックが3曲続き、続く大塚まさじさんとのデュオで一旦しっとりと落ち着かせ、ラスト前に自分が歌うソー・バッド・レビューの作品を置いて、全体のストーリーをエンディングに近づけるようにするのが、流れ的にしっくり来ると思いました。
-:4曲目に入れたチャールズ清水名義の「座椅子オバアチャン」は80年のソロ・ライブからですね。
清水:「マイナー・ブルース」を発表して、ソロ活動を始めた頃のライブですね。吉祥寺にあった「のろ」は、ブルーヘヴンで毎月のように定期的に演奏していたライブハウスなんです。今回のアルバムには、次郎吉や屋根裏や大阪のバーボンハウスなど、これまでよくお世話になっていたライブハウスへのオマージュにもしたいと思っていたので、「のろ」で演奏したテイクを収録できたのも、恩返しという点で、私にとっては大きな意味があります。
-:1人でやっていこうとは?
清水:その頃の自分は。その先どうしていくべきか、色々と試行錯誤していた時期でした。同時に幸運にも、他のバンドやアーティストからも色々とお誘いを受けるようになり始めていたので、ソロ活動だけでなく、そうした皆さんのプロジェクトに参加することで、これまで知らなかった世界を見せてもらい、とても刺激になっていました。
-:この頃のレコーディング参加作品やライブというと…、
清水:ブルース系で言えば、山岸潤史さん、石田長生さん、塩次伸二さんらと一緒に1978年に参加した「ハイタイド ・ハリス vs ジャパニーズ・ブルースメン/Celebrating With Hi-Tide Harris」や1986年にブレイクダウンと一緒にバックバンドの一員として参加したオーティス・ラッシュ(「Live in Japan 1986 with Break Down」)のアルバムをまず思い出します。



ソウル系で言えば、オーティス・クレイやシル・ジョンソンもそれぞれの東京公演でバックを務めました。それとバーバラ・リン(「Live in Japan!」1984年) 。彼女との思い出は、素晴らしいライブのお供をできたのは言うまでもありませんが、それ以上に強烈な印象として残っているのが、過酷なツアー・スケジュールを一緒にこなしたことです。北海度でライブを終えた後、次の公演場所であった横浜まで、まずフェリーで本州に渡り、次に上野まで長距離列車に揺られ、そこから何と京浜東北線に乗り換えて横浜までたどり着いたのですが、バンドマンの私たちならまだしも、遠路はるばる日本まで来てくれたメイン・アーティストに座席の予約など当然取れない各駅停車の通勤電車で移動させたのは主催者側の配慮不足も甚だしく、大変申し訳なかったですね。
その他にも様々なジャンルのアーティストの録音やライブのお手伝いをさせてもらいました。例えば、ロック系だと、東京のコレクターズ(「僕はコレクター」1987年)に、金沢のT-バード、京都のBOUND、大阪の花神。フォーク系では、永井龍雲、白竜にシオン。ニューウェーブ系では、フリクションのツネマツマサトシさんやウィラード。また、久保田麻琴&夕焼け楽団がSANDII&ザ・サンセッツに改名してスペインのイビザ島でレコーディングすることになったプロジェクトに参加できたのも、とても思い出深いですね。
-:この流れで、友部正人さんとも?5曲目に収録した87年読売ホールでのライブ録音。



清水:友部さんとは、その随分前から、色々なライブでご一緒させてもらっていました。その関係が発展して1つの大きな形に実を結んだのが、大阪のサウンド・クリエーションでスタジオライブ録音した「なんでもない日には」(1980年)なんですが、アレンジを全曲任せてもらったこともあり、私のディスコグラフィーの中でも、とても強い想い入れがあるアルバムの1枚になりました。



「マイナー・ブルース」から始まって、その後の自分の音楽人生を辿ることができる、とても有意義な機会になりました

-:そして、ブレイクダウンが3曲続きますが、この関係は?
清水:ブルーヘヴンをやってる時によく対バンになっていたので、自然と各メンバーと親しくさせてもらうようになりました。彼らは(京都)拾得でウィークリーのマンデー・ライブをずっとやっていて、毎回のようにゲストを迎えていました。そのスタイルを他のライブハウスでも踏襲していて、トラック7と8は(大阪梅田)バーボンハウスの彼らのライブに私がゲストに呼ばれた時の演奏です。毎回とことんやる切ることを信条にしていたバンドだったので、いつもアドレナリン全開でプレイしていたのをよく覚えています。
-:そして10曲目、大塚まさじの「エピソード」が始まる前に、阿部登さんのMCを入れたのは?
清水:阿部さんにはソー・バッド・レビューのマネージャーとしてだけではなく、個人的にも本当に大きな恩義を感じています。ブルーヘヴンの頃、2つのルートから矢継ぎ早にレコーディングのお話を頂いたんです。1本の電話はバーバラ・リンを観た山下達郎さんからで、ニューヨークでクールスの録音やるから来てほしいと。その少し前に、阿部さんから「大阪の連中がリトル・フィートみたいなバンドやってるんやけど、今度レコード作るから手伝ってや」と頼まれていたんです。それが私の家内がボーカルを務めていたレイジーヒップでした。すでにそちらにOKを出していたので、とても魅力的だった山下さんからのオファーを泣く泣くお断りせずを得ませんでした。このように阿部さんはその後の私の運命を大きく左右するキーパーソンであったということもあり、あの春一番コンサートを主宰者の福岡風太さんと二人三脚で仕切っていた彼の生の声が残っていたので、ぜひともそれをアルバムに収めたかったのです。
-:続いて11曲目に2014年のソー・バッド・レビューの再結成ライブから、チャールズさんがメイン・ボーカルを取られている「透明人間」が入りました。この時は24チャンのマルチで録られていて、今回それを元にミックスし直した結果、かなり丁寧に仕上がったと思います。
清水:この渋谷DUOのライブは、その翌日に元々決まっていたフジロックへの出演のために集まったのですが、それだけでは勿体ないので都内のどこかでやろうということで組まれた単独コンサートだったのです。実はその20年前の1994年にも六本木ピットインで一度再結成しているんですが、それがオリジナル・メンバー8人全員が揃う最後のライブとなりました。その音源が見つかれば、それをベースに昨年リリースした「The Other Side of Sooo Baad Revue」に続く未発表ライブ集として新たなアルバムを制作できるかもしれないと思っているのですがね。いずれにせよ、そのライブを最後に砂川(正和)さんが世を去り、今回収録した「透明人間」の音源ソースとなった2014年の再結成ライブの翌年には、石田(長生)さんも天に召されちゃいました。このトラックの演奏を終えた直後に私を紹介してくれている彼の元気な声を聞くと、やはりジーンと来ちゃいます。




-:そしてラスト、石田長生さんが参加したセッション・ナンバーとなるわけですね。
清水:そうです。最後に石田さんのギター・ソロを入れることができたのも、とても感慨深いです。ソーバッドのメンバーの中で最も付き合いが長かったのが石やんでしたからね。初めて会ったのは私がまだ13歳の頃で、彼は19歳。奇しくも私がマイナー・ブルースを出した同じ年齢でした。
-:なるほど、よく練られた編成ながら、それが自然な流れになった「メジャー・デュース」というわけですね。
清水:「マイナー・ブルース」から始まって、その後の自分の音楽人生を辿ることができる、とても有意義な機会になりました。
-:そして、去年から新作の録音も始められているそうですね?
清水:すでにそのタイトルも、今回発売した2枚のアルバム名と語呂を合わせた「フューチャー・クルーズ」にすることを決めています。1978年時点の等身大の自分を映し出した「マイナー・ブルース」、それ以降の歩みをまとめた「メジャー・デュース」、そしてこれから自分が音楽的にどの方向に進むかを示唆するヒントになる作品で固めることを基本のコンセプトにして動き出している「フューチャー・クルーズ」の3枚で1つのトリロジー(三部作)を完結させようと考えています。というか、そう自分に言い聞かせて、たまに萎えそうになる創作意欲を奮い立たせようとしているのです。この一大構想に向かって全力を尽くしていけば、自ずとその先が開けてくると信じていますし、それが私なりにこれからも♫何であろうといつまでも続ける!♫姿勢を貫く1つの方法かなと思っています。



『MINOR BLUES AND MAJOR DUES』
/ チャールズ清水
2023年2/22リリース
フォーマット:2CD
レーベル:BRIDGE
カタログNo.:BRIDGE355
【Track List】
・CD1「MINOR BLUES」
1. MINOR BLUES
2. ある愛の詩
3. JAPANESE LONELY BROTHER
4. 透明人間
5. 大阪 ― LOS ANGELES
6. MY DADDY
7. 続ける
8. MINOR BLUES (REPRISE)
・CD2「MAJOR DUES」
01. ブルーヘヴン/MINOR BLUES [1980年3月 渋谷屋根裏]
02. アイドルワイルド・サウス/MY DADDY [1999年 神戸チキンジョージ]
03. アイドルワイルド・サウス/台風 [1998年5月 新宿パワーステーション]
04. チャールズ清水/座椅子オバアチャン [1980年 吉祥寺のろ]
05. 友部正人 with チャールズ清水/西の空に陽が落ちて [1987年9月 有楽町読売ホール]
06. ブルーヘヴン/I HEAR YOU KNOCKING [1980年3月 渋谷屋根裏]
07. ブレイクダウン feat. チャールズ清水/WELCOME TO BOURBON HOUSE [1986年6月 梅田バーボンハウス]
08. ブレイクダウン feat. チャールズ清水/I CAN’T PLEASE YOU [1986年6月 梅田バーボンハウス]
09. 砂川正和&ブレイクダウンwith チャールズ清水/IN THE MIDNIGHT HOUR [1979年12月 高円寺次郎吉]
10. 大塚まさじ with チャールズ清水/エピソード [2000年5月 服部緑地野外音楽堂”春一番”]
11. ソー・バッド・レビュー/透明人間 [2014年7月 渋谷duo MUSIC EXCHANGE]
12. ブルース・ジャム/MINOR BLUES [1979年2月 高円寺次郎吉]

解説:永井ホトケ隆、吾妻光良、妹尾みえ
マスタリング:George Mori
ディスク1「マイナーブルース」はオリジナル・マスターテープよりマスタリング。

オンラインストア(BRIDGE)
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2023.4.2 12:00

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