【INTERVIEW】Shingo Inao『NiMal』

2000年に活動を開始、2009年よりベルリンを拠点に独自のセンサ楽器システム(センサーによる電子楽器 / バーチャル楽器)によって鍵盤楽器を拡張した表現を中心に追求する音楽家/美術家のShingo Inao、全編に渡り様々な豊かな表情や感情が蠢き、ピアノを中心とした実に繊細かつ上品な楽曲がちりばめられた壮大な初のフルアルバム『NiMal』に関してご本人に話を伺った。

僕の活動の素地は、音楽そのものというよりも「身体という概念への興味」にあります

–:まずはリリースおめでとうございます!今回の『NiMal』は Inaoさんの音楽についての深い造詣が感じられ、全編凝縮された素敵な曲が詰まっていますね。まずはInaoさんの作曲を含む創作への発想の源的なところを教えて下さい。
Shingo Inao: ありがとうございます!
僕の活動の土台は、音楽そのものというよりも「身体という概念への興味」にあります。「我々の身体が今ここにある」ことによって、自分たちの(個々の)世界が存在している(=解釈できている)という考え方につながります。僕の表現活動の根底に流れているのは、そのようなアイデアです。このような観点や思想にどうやって触れ、解釈し、実践としてどのような形として残すか(あるいは残さないか)という一連の流れが創作の源です。
–:本作『NiMal』で聴いて頂きたいポイントを教えて下さい。また全体でも個別でも何かコンセプト的なポイントはありますか?
Shingo Inao: つま弾かれるピアノや静寂やノイズは、個々のリスナーの皆さんがいる場所や空間によって、その聞こえ方も溶け込み方も変わっていきます。さまざまな場所や空間で聞いてみてほしいです。本作『NiMal』に限らず、自分の活動全体のコンセプトの基盤は「身体という概念への興味」にありますが、今回は特にミュージックアルバムという形式でその実践と結果を残しました。ドイツで10年以上にわたって開発し続けている「センサー楽器」という独自の演奏システムを使った即興演奏をベースに、このアルバムは制作されています。これはピアノの演奏とは別に腕を動かしたり姿勢を変えることで、サウンドを揺らしたりノイズを生成したりできる独自の拡張システムであり、逆に言うと音を通して身体を再解釈できる変換システムでもあります。すべての曲が、このような「ピアノ演奏 + 腕や身体の動き」によって作られています。聞いてほしいポイントはアルバム全体や流れなので局所的に挙げることはしませんが、本作を聞いている中でそのような「身体」が見えてくる(もしくは “聞こえてくる”)瞬間があれば面白いなと思います。いろんな場所で聞いてみたり、大音量で聞いてサウンドに包まれてみたりすることで、曲やアルバムの表情が変わるのを楽しんでほしいです。
–:アルバムタイトルの「NiMal」は独特で何かアイコン的な言葉ですが、このタイトルにした意図や思いといったところを教えて下さい。
Shingo Inao: NiMal(ニマル)は《20》の日本語読みと、ドイツ語の《niemals(ニーマルス)》から作られた造語です。
niemals(英語でnever)という言葉から es(英語でit)を抜いてみてください。「nimal」になりましたね。即興演奏の一回性と抽象性を意図しながらも、日本語とドイツ語の間に浮かぶような響きを求めて名付けました。
また、僕は1980年生まれなのですが、2000年にセンサーを使ったインスタレーション制作を開始し、ドイツにおける現在のセンサ楽器演奏活動につなげた後、それまで録りためたものを2020年にまとめました。
この流れには《20》(ニイマル)という数字が横たわっているなあと思ったんです。その意味も込めて NiMal(ニマル)としました。
–:本作に関して坂本龍一さんからコメント頂いたそうですね、コメントを頂いてどのように思われましたか?
Shingo Inao: 朝の5時頃に坂本さんからいただいたメールを開きました。その言葉は、その空間の天井と床の間(あわい)を行き来して広がり、沁み渡っていったのを今朝のことのように覚えています。そして今後も忘れないでしょう。

【坂本龍一氏のコメント】
Shingo Inaoはあわい=間のアーティストだ。
音楽とアートのあわい。
soundとartのあわい。
ピアノと非ピアノのあわい。
楽音と自然音のあわい。
日本語とドイツ語のあわい。
音と沈黙のあわい。



収録各曲に関して

–:では収録各曲に関してご紹介をお願い致します。
Shingo Inao:
M1 Opened Segments
断片的に弾かれるピアノと、その音を「手で掴んで、離す」動作によって作られた即興曲。タイトルは「開かれた断片」という意味です。翻訳の世界では、ひとつの文章を断片の集まりとして捉えることがあり、未翻訳状態を opened segment と呼ぶことがある。この曲では、音的なモチーフの断片を「手で掴んで、開く(=openする)」ことによって、ひとつの抽象的文章を綴りました。
現代の文章の多くは具体的なものだけれど、100年くらい遡ったら、同じ言語を使っていたとしても抽象的に感じたり、ストレートにはほとんど読めなくなります。その時代の表現方法や解釈や考え方がまるで違うからでしょう。一方で、我々人間の身体は言語ほどには変化していません。これから時代が変わりテクノロジーがさらに発展しても、おそらく我々の身体自体はそこまで変わっていないはずです。そのような中で、センサーを介した身体によって形を変えるピアノの断片を残しておきたいと思いました。映像でも絵画でも音楽でも「解釈が開かれている状態」にいつも興味を抱いていて、そんなことを考えながら弾いた音です。



M2 Fullmoon Willow And Water’s Surface
このアルバムで聞かれるすべての自然音は、アトリエにある窓から外に向けて立てられたマイクを通して、演奏中に同時録音されたものです。この演奏を収録した夜は、車や電車の往来が特によく聞こえる満月の夜で、そのような「自分を取り巻く人工的自然」を自分の身体に取り込む形で生まれた曲となりました。
僕のスタジオはいわゆる音楽スタジオではありません。美術作品を作るアトリエなんです。天井は高いし、吸音材も取り付けていない。
そのような空間で、窓にコンデンサマイクを立てて、その音と共に即興で収録しました。外出しないヒキコモリフィールドレコーディングです。そうやって聞こえてくる「外の音」を、内部である「アトリエや自分の身体」を通して変容させること。これは、いろんな意味で外部と内部を意識させられる今の時代に影響された手法です。


M3 Bergson
主要なテーマのひとつとして「時間」を扱ったフランスの哲学者アンリ・ベルクソンを想起して作られた即興曲です。引き伸ばされたピアノ、ループする自然音、突如として切り替わり、揺れ出すサウンド。それらは意識の変則性や流動性、時間の持続性を表し、そしてその中で浮かんでいる音楽を形成しています。
「時間とは正確に測れるものではなく、個々にその都度ひきのばされ縮められるものだ」という発想は「投げかけられた個々の主観によって、我々の世界は成り立っている」というテーゼにふさわしいものです。
音楽や映像といった時間軸芸術を考える上でも、ベルクソンについてはもっと掘り下げていきたいです。

M4 Nacht 2312
ピアノ演奏中の身体の姿勢にリンクしたハーシュノイズと、靄(もや)にかかったようなピアノで構成される曲です。この日は14時47分にアトリエに到着し、この演奏を23時12分に録音して、23時41分にはアトリエを出たという記録が残っています。
タイトルはドイツ語で「夜」ですが、到着直後の午後はいったいなにをやっていたのかまったく思い出せません。靄(もや)が漂う夜だった気もする…と言葉にしてみると、途端に実感として定着してしまいそうになります。記憶が先に作られるのか、言葉が記憶を作るのか。

M5 Movement Of The Particles (Between Living And Non-living)
この演奏が収録された2019年3月に問題のウイルスはまだ見つかっていませんでしたが、曲を選定した2020年初頭に再度聞いてみると、この演奏には「生物と非生物の間とも言えるその不穏な存在」との共通性をはっきりと感じました。曲中に聞こえるピアノのパルスは生命の躍動です。一方で、ゆっくりとした身体の動きによって生成された”うねる”サウンドは、今の我々を取り巻く環境を示し、その解釈は今も開かれています。
パルスと “うねり” という対極のモチーフというのは、クラシックな電子音楽ではわりとポピュラーなテーマではないかなと思います。
でも「生命の躍動としてのパルス」(これは心臓音と解釈できます)と「プラスもあればマイナスもある “うねり” や “持続”」(こちらは日常における変化として解釈できます)が、実生活=世界とリンクした形で意識されることなんて普通はなかなかない。
収録した時と、それを聞き直した時に隔たりがあり、そこで時代や環境が明らかに変わっていたからこそ生まれた曲です。

M6 Klavierstück II
ピアノの音を加工することによって得られたマリンバのようなサウンドから始まる曲です。もともとは異なるふたつの即興演奏でしたが、同作のマスタリングも手がけたサウンドプロデューサー sub-tle.(Satoshi Okamoto)により再構成され、ひとつの楽曲となりました。タイトルはドイツ語で「ピアノ曲 2」の意味です。
この曲には「自分ではない他者」が「2曲を1曲にしてしまう」というフィルターがかかっているので、他の作品とは少し毛色が違います。これはなかなか美術ではできない手法だなあと興味深くプロセスを眺めていたのを思い出します。

M7 Piano Curve
ピアノとそれに重なるサイン波(自然界には存在しない音波。主に時報などに使われる)により、緩やかで静謐な聴覚的カーブを描くことを主眼において演奏された即興曲です。タイトルは、自然界にも多く見られるフラクタル模様の一種であるペアノ曲線 Peano Curve をもじったものです。鉛筆でなにかをを書いているようなサウンドが聞こえて、このアルバムは幕を閉じます。
僕が独自で開発したセンサー楽器のサウンドシステムでは、初期からピアノとサイン波を重ねる手法を多用してきました。単音のピアノが弾かれ、その残響がなくなっていく長いカーブに、サイン波のカーブを重ねていく。ライブ演奏で長年使ってきたそのようなロングスパンというモチーフを本作のラストに持ってきた形です。ピアノの音そのものよりも、むしろそれがつま弾かれた残響に注目したい。あ、つい局所的なことを言ってしまった。



ドイツに来て15年以上も経ってしまったからなのか、音楽における「最近」を意識することがなくなりました

–:味わい深いアートワークを制作された Maki Ishii さんはどのようなアーティストですか?また実際完成されたアートワークを見てどのように感じられましたか?
Shingo Inao: Maki Ishiiはベルリンに住んでいる現代美術アーティストで、映像およびインスタレーションを制作している作家です。彼女の作品は我々人間に共通する「それぞれのアイデンティティと、その所属」というテーマを持っており、その多義性やゆらぎなどが複層的な世界を作り出します。完成したアートワークには、空間と紫を基調とした不思議な光景が広がっています。そこで見られるモチーフには2Dイラストなのか実写なのか分からない曖昧さもあり、時間が経ってもまた見返したくなる魅力があります。また、「Opened Segments」のミュージックビデオは彼女の制作によるものです。アートワークの世界観が、緩やかにシュールに美しく展開されていきます。CDをお持ちの方は、アートワークと見比べながら眺めるのもおすすめです。固定されたものと動いているものの対比が面白いですよ。


–:楽曲制作に対するアプローチや、楽曲制作で常に意識していることは何ですか?
Shingo Inao: 音楽というメディアやジャンルから逸脱すること。音楽自体に固執せず、別のものを取り入れたり、拡げること。いったん音楽にフォーカスしても、その後の鳥瞰図を拡げようとすること。
もともと僕は完成品としての「作曲」をあまりせず、その場限りの即興性を追ってきた人間です。ミュージシャンや作曲家とはズレた観点から制作を行うことが Shingo Inao としてのミッションのひとつです。
–:これまでに影響を受けたアーティストを教えて下さい。
Shingo Inao: ドナルド・ジャッド、ジャクソン・ポロック、ロバート・モリス、マルセル・デュシャン、トーマス・デマンド、ジョン・ケージ、ヤニス・クセナキス、ヘルムート・ラッヘンマン、バッハ(エマヌエル含む)、吉村弘、坂本龍一、川久保玲、ブルーノ・ラトゥール、ウンベルト・エーコ、モーリス・メルロ=ポンティ、エドムント・フッサール、ニーチェ、エピクロス。…敬称略でスミマセン。
–:最近のお気に入りのアーティストや作品を教えて下さい。
Shingo Inao: ドイツに来て15年以上も経ってしまったからなのか、音楽における「最近」を意識することがなくなりました。お気に入りの作品を強いて挙げるなら、バッハのインヴェションとフーガの技法です。インヴェンションではグレン・グールドとアンドラーシュ・シフの対比を楽しんで聞き続けています。ピアノの音色の違いや演奏もさることながら、両者の残響の違いがまた良い。音楽における「最近」を意識することがなくなった一方で、断片的に、偏った形で(音楽に限らず)アーティストや作品や考え方を追っている時もあります。気になる方は、僕のSpotifyアカウントinstagramTwitterなどフォローいただければ嬉しいです。
–:これからの音楽シーンについて、特にフィジカル、配信、ライブなど、アーティストの視点でみる今後や将来像的なところを教えて下さい。
Shingo Inao: 現在の音楽シーンをフォローしていないので、僕にはなかなか難しい質問です。
ただ、音楽や美術といったカテゴリのオーバーラップや逸脱という観点からは、現時点だとメタバースやNFTが気になるところではあります。昨今、発表されたArtReview誌の Power 100というランキングの1位はアーティストやディレクターといった人物ではなく、NFTでした。それだけ影響力があったんですね。またメタバースについては、一過性のものに終わらず参加者が増え続けていくならば、芸術表現の幅や位相も変わっていきそうです。昔ながらの音楽体験や美術体験が持っている物理的な空間共有や身体感覚を考えると「結局、実物の空間やライブや展示にはかなわないだろう」と思うところも当然あります。でも、これがひとつのパラレルワールドとして進んでいった時に生まれていく芸術表現や、向上し続けていく技術、そしてそれに影響され変化していく私たち人間と世界がとても気になっています。フィジカルも配信もライブも「他者に伝えるためのメディア」なので、そのメディアが乗る土台が変わると、その伝え方にも変化が出てくるはずです。
–:アルバムのエンデイングを飾る「Piano Curve 」で印象的なMVを公開されていますね、このMVはどのように制作されたのでしょうか?他にもMVは制作予定ですか?
Shingo Inao:リリースに先行して公開された「Piano Curve」のミュージックビデオは、映像作家のKayoko Tomitaによるものです。彼女は日常を切り取る形で、言語の生成過程やオノマトペといったテーマを掘り下げている作家です。美しい構図の写真を思わせる映像モチーフを緩やかな曲線で紡いでいくような、詩性あふれるミュージックビデオを制作していただきました。青白い断片がピアノの音と共にスローな抑制をかけられ、最後にまた解放される瞬間なども美しいです。先日公開された「Opened Segments」のミュージックビデオはアートワークを手掛けたMaki Ishiiによるものです。CDのアートワークで見られる不思議なモチーフや光景が、曲に沿って静かに奥行きを作り出していくようなアニメーションとなっています。それに続き、第三弾としてティン・チャオン・ウェン(Ting Chaong-Wen)という台湾の映像&インスタレーション作家によるミュージックビデオが1月に公開予定です。2021年の秋に招待されたドイツ・ワイマール芸術祭で知り合った現代美術アーティストで、精緻な映像の裏側に歴史というモチーフを滑り込ませる作家です。楽曲は「Movement Of The Particles (Between Living And Nonliving)」を予定しています。今後もどうぞご期待ください!


『NiMal』
/ Shingo Inao
2021年11/10リリース
フォーマット:CD
レーベル:PROGRESSIVE FOrM
カタログNo.:PFCD104
【Track List】
01. Opened Segments
02. Fullmoon Willow And Water’s Surface
03. Bergson
04. Nacht 2312
05. Movement Of The Particles (Between Living And Non-living)
06. Klavierstück II
07. Piano Curve
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Tower Records




2021.12.16 18:00

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