【REVIEW】「死神紫郎×豊川座敷×魚住英里奈」東阪スリーマン・ライブレポート

死神紫郎と豊川座敷が主催し、魚住英里奈も出演した3マン『三輪の黒い薔薇-東京編-』『三輪の黒い薔薇-大阪編-』のライブレポート。(大阪編のみ、豊川座敷がボーカルの新バンド「心猿」も参加。)
東京編はライターの大越よしはるが執筆し、大阪編は元映像作家の天使弾道ミサイルが執筆している。

死神紫郎企画『三輪の黒い薔薇-東京編-』


2021年2/13(土)昼大久保ひかりのうま
死神紫郎企画『三輪の黒い薔薇-東京編-』
出演:
1.死神紫郎
2.魚住英里奈
3.豊川座敷
テキスト:大越よしはる


2021年2/13(土)、午後早い時間に大久保 ひかりのうまで開催された、死神紫郎、魚住英里奈、豊川座敷のライブ「三輪の黒い薔薇 -東京編-」。コロナ禍の中、会場でのライブ視聴は10名に限定された一方で、配信により自宅PCやスマホなどで視聴した人も多かった。以下はその模様である。

まず、黒装束で身を固めたイベント企画者の死神紫郎が登場し、ギターを抱えて立ったまま演奏を開始する。この日、出演者3人の中で立って歌ったのは彼だけだったが、死神紫郎が立って歌うことの必然性は、パフォーマンスを見ればすぐに了解出来るというモノだ。朗々とした歌声や強靭なギターの響きと共に、それらと不可分にぴったり貼り付いたような独特のアクション……が、死神紫郎の世界を作り上げる。
一般的に暗いと表現されるであろう歌唱の間に挿まれる、軽妙なMC……も、死神紫郎のライブを構成する重要な要素だ(ルックスのせいもあり、話の上手い坊さんの説法を聴いているような気分になる)。そうして紹介された、コロナ禍の巣ごもりの中で作られたという、就活生、新社会人に捧げる新曲のタイトルが「逃げろ!」というのには、思わず笑ってしまう。
それに続くのは、iTunes Storeの日本のフォーク部門で1位を記録したという、死神紫郎初の配信シングル曲「人間樹海」。「逃げろ!」がコロナ禍の中で生まれたのと同様、この曲は歌詞の内容自体がコロナ禍を濃厚に反映し、右往左往する人々の姿が描かれる。それにしても、死神紫郎自身がMCで語る通り、この曲、そして死神紫郎の音楽は、“日本のフォーク”と呼べるモノなのだろうか……。
代表曲のひとつである「牛は屠殺を免れない」に続くMCでは、ミュージシャンが商売っ気を出してはいけないと力説しながらグッズ(マスク)の宣伝に余念がない。そして最後には藤圭子「夢は夜ひらく」を死神紫郎流に見事に翻案・換骨奪胎したカバー。その曲に限らず、“暗い音楽で明るくなる/救いがないから救いがある/絶望の先の希望を嗅ぎ分ける”(1曲目「救いのない音楽」より)という死神紫郎の世界は、絶望や死を強く強く意識するがゆえ、その歌を通じて希望や生へと向かうのである。

男性シンガー2人に挟まれる順番で、この日唯一の女性である魚住英里奈が2番目に登場する。死神紫郎のライブ中はかなり明るめだったステージ(もっとも、ひかりのうまには一段高くなったようないわゆる“ステージ”はないのだが)の照明はぐっと落とされた。
袖口の赤を除いて全身が真っ黒だった死神紫郎と好対照をなすように、魚住英里奈は帽子から靴まで白っぽい。いわゆる水商売の女性を指す(もっとも、今では死語かも知れない)“夜の蝶”という言葉があるが、もこもこした帽子をかぶって暗い中にぼうっと浮かび上がるような魚住英里奈の姿は、蝶というよりもむしろ白く美しい蛾を連想させる。
指弾きによるアコースティック・ギターのサウンドには深めのエコーがかかり、それに乗せてささやくように歌い始める。何も言わず演奏を始め、曲を終えてもMCはない。それが淡々としたステージングかというと、全くそうではない。
繁華街でよく見かけるトラックから流れる“バーニラッバニラバーニラ求人♪”という歌詞が、いきなりオリジナルとはまるっきり違うマイナー調で、ブルーズのように放たれる……のには驚いてしまった。曲名もそのまんま「バニラ」というのだそうだ。
スマホで117の時報を流しっぱなしにして、そのリズムに合わせるでもなく始まる「ようこそ都合の良い天国へ」は、歌いだしの歌詞が“そっちそっちそち措置入院”。自身の自殺未遂と措置入院にまつわる(と思われる)歌を、時に笑顔を見せながら歌う魚住英里奈の姿には戦慄を禁じ得ないというか。クライマックスでの絶叫よりも、むしろ笑顔の方が怖い。“優しいこの街にもう未練はないのさ”という「袖に隠したチョコレート」もやはり笑顔で歌われ、歌い終えた時にもいかにも満足げな笑み。そして全6曲を歌い終えた魚住英里奈は「ありがとうございました」「終わりです」と二言だけ発しながら、マイクをやや乱暴に押しのけた。
魚住英里奈の、正気と狂気の狭間を行き来するような日本語アーバン・ブルーズ(敢えてブルーズと言おう)は、死神紫郎同様に間違いなく聴き手を選ぶ。しかし彼女がツイッターのプロフィールに“何度でも生き直せ”と書いているように、狂気や死とすれすれに交錯するごとき生への希求……は、これまた死神紫郎同様、少なからぬ人々に響くはず。

そしてトリの豊川座敷が登場。ぼくたちのいるところ。というバンドのギタリストだったそうだが、不勉強にして名前しか知らず。
先に出演した2人とは違い、初めてMCから始まる。Tシャツとジーンズのカジュアルなスタイルは、ある意味この日の出演者3人の中で一番フツーにフォークっぽいとも言えるかも知れない。
それにしても……その特徴的な髪型をはじめとして、ルックスも甲高い歌声も、元たまの知久寿焼を連想させる(ステージネームのイメージ通りというか、なるほど座敷童っぽい感じだ)。一方で、服装がフォークっぽいと言ったものの、歌の端々で時に迸る激情はやはりロックだ。拗らせに拗らせた寄る辺のなさを、達者なギターに乗せて歌として吐き出す、とでもいうか。
曲が終わる毎に、魚住英里奈のMCがなかった分とバランスを取ろうとでもするように(?)長いMC。話す内容を整理していたと思われる死神紫郎とは対照的に、思いつくまま、徒然に、といった趣で訥々と。金がないこと、3月いっぱいでソロ活動を休止すること、など。そして合間に酒を(ちゃんぽんで)飲み続ける。
セットが後半になるにしたがって、抑えきれない激情は漏れに漏れ出る。音楽性自体は全く違うものの、個人的に連想したのはかつて日本のインディーズ・シーンに毒々しい存在感を刻んだバンド・インビシブルマンズデスベッド(かつて、というか再結成して現在も活動中だが)。その一方、全体に漂う何とも言えないもの悲しさと抒情には、知久寿焼を通り越してその知久にも影響を与えた原マスミの影を見たり(豊川座敷が実際に原マスミの影響を受けているかどうかは知らない)。
何故か(?)アンコールを断ろうとしたものの、結局断り切れずにもう1曲。

最後に改めて3人が登場してあいさつ。魚住英里奈の「幸せでしたね」という一言が、3人がそれぞれにヒリヒリしていながらどうしようもなく引き込まれる歌を存分に聴かせた、そんなイヴェントを象徴していたように思う。
ともあれ、願わくはコロナ禍が一刻も早く収束し、会場での視聴が10名限定などという馬鹿げた日々が終わらんことを。そしてオリンピックを強行するよりも市井の人々の暮らしが守られんことを。


テキスト:大越よしはる


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2021.5.8 18:00

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