【INTERVIEW】Half Mile Beach Club『Be Built, Then Lost』
僕がインタビューしているのは、基本的には「関東圏内」に収まるバンドやミュージシャンが数多い。
それは単純に生活圏の問題もあるのだけども、どうしたって明かされづらい「関東各所のライブシーン」や「人のつながり」を感じる部分、そして活動の仕方があるからだ。
今回インタビューを受けてくれたHalf Mile Beach Clubは、普通のバンド観からしてみると、その成り立ちからして少し異質な存在だろう。元々はイベントオンリーで活動していたバンドが、様々な影響を受けたことで、そのクオリティを育て、発揮するようになったわけだ。
今回のインタビューでは、DYGLやYogee New Wavesを筆頭に、自身らが主催するイベントに出演したミュージシャンに対しても言及していたし、20歳後半から30歳を迎える彼らが、神奈川西部に位置する逗子という場所・・・その近隣にある湘南・鎌倉・横浜で活躍するバンドらへの言及もあった。
残念ながら、今回のインタビューではカットする運びとなったが、なるほど、東京とも違う、大阪とも、京都とも違う、まったく別の時間感覚とフィーリングで生きている人々の姿を、今回の彼らの言葉と音楽からは思い浮かべられるだろう。自身ら独自の磁場をグっと広げられる音、その源を覗けたインタビューだろう。
もどかしさを感じていたとき、DYGLやYogee New Wavesを知って、海外のインディシーンにも通じるバンドが東京でガンガンライブしていることに勇気づけられた(Miyano)
- –:一番最初から話すことじゃないのかもしれないんですけど、Half Mile Beach Clubという存在を知ったときは、すごく呆気に取られてしまって。音源を聴いたのは前作にあたるEPだったんですが、その後人づてに伺ったときに、Half Mile Beach Clubはバンドだけじゃなくて、DJを演るひともいるし、映画館を貸し切って映画も流すんだよと言われたとき、正直頭の中が「え???」みたいになってしまったんです(笑)いまは何人で活動されているんですか?
- Miyano:いまは9人ですね。
- Yamazaki:バンドチームが5人、DJチームが2人、イベントでお酒をつくるバーテンダーが1人、フォトグラファーが1人、合計で9人という感じです。
- –:すごいですね……いったいどなたの活動からスタートしたんでしょうか?
- Miyano:元々9人が友達だったんです。最初は2013年にDJチームのkobayashi……2人は兄弟なんですけど、彼らとお互いの家でレコードを聴く会を開いていて、この延長線上で「逗子でイベントできないかな?」と思ったのがきっかけなんです。いまバーテンダーとしてメンバーになってるYatsuhashiがCINEMA AMIGO(注:逗子にある映画館)で働き始めていて、「うちでやらない?」と相談に乗ってくれて、僕とYamazakiとTsuzukiでバンドもやっていたので、イベントの中でバンドも演奏してみよう!と加わったんです。バンドはHalf Mile Beach Clubとは別名義でしたけど、このコミュニティ……バンドもDJもバーテンダーもフォトグラファーも入れたクルーとなってまとまって活動してみよう、と考えたのがはじまりです。
- Yamazaki:確かイベントの3回目か4回目に、バンド名もHalf Mile Beach ~に変えたんです。とはいえ、イベント初期のころはぼくらが必ず演奏していたわけじゃなくて、「せっかくだしやってみようか」くらいの感じだったんですよ。でもだんだんとDYGLやYogee New Waves、ゆだちやAnnie the Clumsyなどが出演してくれたことで、いまの日本のインディミュージックにものすごく触発されたんです。そこからだんだんと曲を作って、soundcloudなどに上げてみると、東京のイベントから呼ばれるようになりはじめて、「バンドっぽい活動」がどんどん大きくなっていったんです。
- –:「バンドっぽい活動」ってめちゃくちゃ矛盾してますけど、この流れだと確かにそういうのが適切ですよね。やりなれた活動になっていったというか
- Miyano:ですね。そういう感じで、僕らが主催するイベント『Half Mile Beach Club』を並行しつつも、バンドチームのHalf Mile Beach Clubは東京のイベントでライブするようになっていったんです。
- –:なるほどです。
- Miyano:そうしてバンドチーム3人でライブを独自にやり始めていていくと、僕らがやりたい音楽からすればどうしても手数が足りない部分が出てきたんです。
- Yamazaki:2017年に東京でライブをやっているときに「いよいよこの編成じゃ厳しいぞ」と気づいたんですよ。そこで、もともと知り合いだったAsakuraさんとベースのHarukaさんに声をかけて、いまの5人体制のバンドチームになった感じですね。
- Miyano:Asakuraさんとは東京のクラブイベントで知り合ったんです。そこで色々話したら、地元は逗子で同じだし、なんなら先輩だったということがわかって、意気投合したんですよ。
- Asakura:まさか東京のクラブイベントで会うとは思ってなかったですね。
- Miyano:Asakuraさんが参加している「CLAT」というパーティに僕らが出演したり……そこから交流していって、Asakuraさんがやりたいことと僕らがやりたいことの方向性が合ってるし、僕らがやりたい音像を彼なら作ってくれるんじゃないかと思って声をかけたんです。Harukaさんとは大学のときに一緒にバンドをやっていた仲なので、やりやすいというのが大きかったですね。そこからEPを発売して、主催イベントと東京でのライブを並行して進めていったときに、1stアルバムを作ろうというお誘いをいただいたので、アルバムを出させていただけたという……。
- Yamazaki:いまこうして話してみても、パーティーから派生してバンドチームが生まれてくるという、普通から見たら逆パターンの形なので、僕らのアーティスト写真を全く知らない人から見ると理解されづらいのは正直ありますね。Half Mile Beach Clubのパーティ開催時のアーティスト写真はバンドチーム以外も含めて全員で写ってるので。
- –:3人にお聞きしたいんですが、一番最初に音楽と出会ったのはいつ頃でしょう?
- Miyano:うーん、僕は父がバンドのマネージャーをやっていたんですけど……。
- Asakura:……えっ!?そうなの!?(笑)
- Miyano:その縁もあって、バンドメンバーの家族と交流があったんです。子供は子供同士で適当に遊んで、親は親でスタジオでジャムってたりしていて、そこでなんとなく音楽を聴いていた、というのが一番最初だったと思いますね。
- Yamazaki:昔、もう取り壊された場所なんですけど、逗子に「逗子マリーナボウル」というボーリング場があったんです。そのボーリング場内の隅っこに小さいゲームセンターがあって、そこにあったドラムマニアと出会ったことですかね。一番かんたんな曲はBUMP OF CHICKENの「天体観測」なんですけど、より難しい曲を叩けるやつはイケてる!みたいな流れがあって、結構ノメりこんでましたね。「ミュージックステーション」で流れている曲くらいしか知らなかったんですけど、ドラムマニアと出会ったことで「楽器を演奏する」という概念が僕の中で生まれたんです。そこからいろんな音楽を聴き始めたんですよね。
- Asakura:これは両親との会話で知ったんですけど、ベタな話でカーステだと思うんですよ、多分ですけど。そのときに流していたHeartsの『Brigade』を死ぬほど気に入っていたらしくて、何度も何度も聴かせてくれ!ってせがんでいたらしいんですよ。いまはからっきし聴かないんですけどね(笑)それを見ていた両親が「音楽が好きなのかな?」と思ってカシオトーンを買ってくれたんですけど、そこに入ってるデモ音源をジャンジャン鳴らしては騒いでいるような子供だったらしいんです。でも、今ではこうしてシンセサイザーを鳴らしたりしているしクラブイベントも企画しているわけで、感慨深いものがあります。
- –:ありがとうございます。そこからバンドを始めたのはいつごろだったんでしょう?
- Yamazaki:そこに至る前ですけど、ぼくがMiyanoの家の近くに引っ越してきて、そこからMiyanoとよく遊ぶようにになったんですよ。
- Miyano:で、さっきYamazakiが話していたように、当時はBUMP OF CHICKENが流行りだしていたころで、YamazakiからCDを借りたりしていたんです。中学の時の文化祭でYamazakiがバンドやってるのをみて、「あいつも遠くなっちまったな……」みたいに思ったりして。
- Yamazaki:そうだったのか(笑)
- Miyano:僕がバンドに入ったのは高校の時だったよね。バンドをやりはじめたのも、さっき言った父がマネージャーをしていたバンドの方からギターを頂いて、Yamazakiに「ギターを教えてくれないか?」って言ったのが最初だったんですよね。
- Asakura:この2人とドラムのTsuzukiは、彼ら3人としかバンドを組んだことがないみたいなんですよ……そうだよね?
- Yamazaki:そうですね。僕ら3人は、ずっとこのメンバーででしかバンドをやってないんですよ。
- –:まさにBUMP OF CHICKEN……もっと言うとU2みたいですね。
- Miyano:確かにそういう感じかもです(笑)
- Yamazaki:大学生になっても続けていたんですけど、だんだん色んな音楽を各々聴いて、曲を作ってやっていくうちに「僕らのやれる場所がない」ということに厳しさを感じてしまったんです。そこから、トラックを作るほうにいってしまったんですよね。
- –:なるほど……詳しく聞かせていただけますか?
- Yamazaki:僕らは地元に近い横須賀や湘南のライブハウスばかりでライブをやっていて、東京のライブハウスのことが全然知らなかった、という話になるんですけども、当時僕らはシューゲイザーのようなサウンドを好んでいたんですね。ただ、その頃の神奈川のライブハウスでは、いわゆるミクスチャーロックやメロコアのバンドばかりが溢れていて、僕らが好んでいたシューゲイザーなバンドがほとんど皆無だったんですよね。
- Miyano:当時は00年代後半から10年代の初頭で、海外でシューゲイザーリバイバルみたいなムーブメントありましたよね?
- –:Deerhunter、Asobisekusuなどなどのニューゲイザーですかね。
- Miyano:そうですそうです。でも、ああいうサウンドをやっているバンドが集まってる場所が、神奈川のシーンで見つからなかったんですよね。そこでもどかしさを感じていたとき、DYGLやYogee New Wavesを知って、海外のインディシーンにも通じるバンドが東京でガンガンライブしていることに勇気づけられたんです。その頃には社会人になったばかりの頃でしたけど、「逗子でも自分らと近しい趣味を持った人を招いて、なにかできないか?」と思って……冒頭のHalf Mile Beach Club結成の流れに繋がるんですよ。
- –:なるほどです。バンドで音を鳴らすというのは、一時期からパッタリ途絶えてたんですか?
- Yamazaki:それが、結局3人で集まってダラダラとバンドで音を合わせて鳴らすということはしていたんですよ(笑)「やっぱりこれ最高だね!」って言いながら音を鳴らして満足する!みたいな感じだったんです。Half Mile Beach Clubがパーティとして始まってからも、バンド演奏やるときとやらないときがあったくらいなんですよ。音源をちゃんとしっかりと作ろうと思えたきっかけは、とあるイベントで昔の知り合いに会ったとき「音楽もうやってないの?」「絶対にやったほうがいいよ!」って言われたことなんです。
- Miyano:Soundcloudに曲を出してみると、イベントなどに来てくれるお客さんが結構面白がってくれたりして、そこから「やっていこうか」と3人で決めましたね。
>次ページ:CINEMA AMIGOから見る逗子の海岸線や海の風景と、妙にハマるし、納得できた(Asakura)
『Be Built, Then Lost』/ Half Mile Beach Club
2019年6/19リリース
フォーマット:CD
レーベル:P-VINE
カタログNo.:PCD-83011
価格:¥2,300
【Track List】
01. Nite Revue
02. Blue Moon
03. Oasis
04. Chasing the First High
05. Zapper
06. Temperance Club
07. Baobab
08. Olives
09. Yankee
10. in the Windy City
2019.10.8 12:00
カテゴリ:INTERVIEW, PU3_ タグ:half mile beach club, JAPAN