【INTERVIEW】FUNLETTERS『PRAY』
5月上旬、目黒にてFUNLETTERSのインタビューを行なった。
彼らの音楽を知ったのは、実はTwitter上でのことだ。とある方の猛プッシュを見たところで、興味を持って聴いてみたところ、こうしてインタビューまで話が転がっていった。
彼らの音楽は、心をあたたまるものだ。ヘタに攻撃的にはならず、エフェクティブなサウンドスケープのなかで、ゆっくりとした心へと帰ることができる。それは、例えばおおげさなアンビエントサウンドということでは決して無く、シンセサイザーとキーボードの輪郭すらすぐに忘れてしまうような、そういった質感のことだ。
彼らの音楽は、2010年代においてSNS上で流行になったエレクトロニカ・ミュージックとも共振したものに聴こえる。チルウェイヴ、ヴェイパーウェイヴ、フューチャー・ファンクなどなど……だがそれぞれの音楽とは違い、彼らの音楽にはひとつの願いが灯されている。今回は、その願いにまつわるインタビューだ。
いい曲を作っていたいというのは、常に考えているんですよ(New K)
- –:『FUNLETTERS』というユニット名は、とてもドストレートなものかと思うんですが、この名前にするきっかけは何だったんでしょうか?
- New K:元々Chami.を誘う前からこの名前で活動をしていたんですけど、THE BEATLESみたいに<THE~s>みたいなバンド名にしたかったんです。簡単な英単語で、なにかないかと考えたとき、ファンレターという単語がしっくりきたんです。あともう一つ、スペルに関しては、Google検索でちゃんとトップに来るような、SEOの傾向をいろいろと探っていって、「FUNLETTER」にしました。なので、言葉にはあまり意味は込めてないんですよ。
- –:なるほど、そのまま「FANLETTER」だと引っかからないですものね。めちゃくちゃ戦略的じゃないですか(笑)
- New K: ははは(笑)元々は、ぼくとChami.ともうひとりの3人でバンド組んで活動をしていたんですけど、いろいろあって解散したんです。そのあとは表立って活動をしていなかったんですけど、ちょこちょこと宅録でトラックメイクをしていることは欠かさずにやっていたんです。2016年くらいに歌モノのトラックを作ったとき、「ちょっと歌ってほしいな」と思って、もう一度声をかけたところから徐々に徐々にと始まりましたね。
- –:なるほどです。子供の頃からの話になるんですけど、「このタイミングで音楽を知った」というような原体験はいつ頃になりますか?
- New K:一番最初に買ったCDは、SMAPの「10$」というシングルでしたね。それと一緒にCDラジカセを買ってもらったというのは、音楽の原体験でしたね。
- Chami.:わたしは自分でCDを買ったのは、松任谷由実さんの「真夏の夜の夢」でしたね。地元のレコードショップで買ってもらったんですよ。実は母がUSENで働いていたこともあって、お腹の中にいるときから歌謡曲をずっと聴いているような感じだったのもありますね(笑)
- –:音楽をやりはじめるきっかけは?
- New K:大学のときですね。大学に入ってびっくりしたのが、「こんなに時間が余るものなのか……」ということだったんです(笑)そこで「音楽好きだし、楽器やってみよう」という気持ちで軽音部に入って、コピーバンドをいくつかやったんです。大学卒業してから、宅録をするようになったんですよ。当時はオルタナティブロックが流行っていたので、NirvanaやLinkin Park……とにかくハードなものをコピーしてましたね。Rage Against The Machine、DINOSAUR.Jr、Sum41、あの頃のアメリカのロックバンドは僕の青春ですよ。
- Chami.:初めて聞いた、その話。
- New K:高校の頃だと、MetalicaやSLAYERのようなヘヴィ・メタルやデスメタルを聴いたりしていて、楽器はいっさいやってませんでした。一人のリスナーでしたね。
- –:Chami.さんはどうだったんでしょう?
- Chami.:最初はダンスを習ったんですよ、ヒップホップ系のものですね。でもアイドルというより、歌手にあこがれていたので、養成所に通うことになったんです。当時は「オーディションを受けて歌手になる」ということしか歌手のなり方を知らなかったんですけど、みんながみんな同じような歌を唄っているということに違和感を感じて、いろいろな音楽雑誌を読んで勉強するようになったんです。そこで出会ったのが、Bjorkですね。あと、Sigur RosにMumなどを知ったんです。でもどこで売っているのか分からなかったので、従兄弟のお兄さんにタワレコで買ってもらって、送ってもらうという感じでしたね。
- –:あまり年代を特定して話すのも失礼かと思いますが、おそらく当時は宇多田ヒカルやMISIAが流行ってR&Bに注目が集まっていて、逆にモーニング娘。がブレイクしてアイドルも盛り上がっていた、オーディションを受けることが一つの門番としてしっかり機能していた頃ですよね。
- Chami.:うん、そうですね。当時聴いていたのは、the Brilliant Green、UAさん、charaさんでしたね。
- –:当時の自分にとって、これがベストだなと思えるミュージシャンは誰でしたか?
- New K:Linkin Parkですね。初期の2枚が特にそうです。
- Chami.:カヒミ・カリィさん、あとはACOさんですね。orange pekoeもそうかも。
- –:すごく00年代初期でちょっとニヤニヤしちゃいます。お2人は甲府で活動されているのですが、この当時から甲府にお住まいなんですか?
- Chami.:わたしは甲府市ですね。
- New K: ぼくはもう少し先の北杜市というところです。
- Chami.:隣の家が何百メートル先とかだもんね(笑)
- New K: そうだね(笑)さきほど話に出た3人組バンドのころは、ぼくの実家のガレージ部屋に集まって音出してたんです。彼女と出会ったのはもう11年くらい前だったよね?
- Chami.:2009年とかだったもんね。
- New K:ぼくとバンドメンバーでベースを弾けるひとを探していたんですけど、たまたま見に行ったライブで、彼女が唄っていたのを見たのが最初だったんです。そのライブ終わりに、甲府のカフェでお茶していたら、たまたまそのカフェのカウンターで彼女もお茶していて、声をかけたんですよ。
- Chami.:よく覚えてるね!
- New K:たしかヤフオクの話をしてたんだよ(笑)だから覚えてたのかも。最初はメンバーに誘う気はなかったんだけども、その時に渡していたデモ音源を聴いた彼女から、「唄ってみたい」と連絡があったんです。「ベース弾ける?」「やってみる!」とやり取りをして、そこから3人組としてスタートしたんですよ、ベースボーカルやってましたね。
- –:ちなみに、その頃はどんな音楽だったんでしょう?
- New K:ちょっと古い言葉ですけど、デジロックやビッグビートな音楽をやってました。
- Chami.:BOOM BOOM SATELLITESみたいな?ツインボーカル。
- New K:そういう感じの音でしたね。Garbageとかみたいな。
- –: ちょっと時間を前に進めたいんですけども、3人で組んでいたバンドが一旦終わってしまって、音楽を続ける理由というか、モチベーションや動機になるものが失われてしまったわけじゃないですか?そういったなかで、宅録でトラックメイクをするということは止めずにいたと仰っていましたが、そこにはどんな理由があったんでしょう?いまChami.さんが物凄く頷いてらっしゃいますが(笑)
- Chami.:わたしも聞きたいな。
- New K:うーん……ぼくは人と言葉でコミュニケーションをしたり、対面で話すのが苦手だという認識が強くあるんです。自分のなかに伝えきれないものがどんどん溜まっていくんです。そうしてどんどん溜まっていったものを、どうにかして発散しようというのは自然な作用としてあるじゃないですか?
- –: とても良くわかります。
- New K:なので、音楽という形にアウトプットをすることが、自然な営みとしてあったんですよね。大学時代にギターをやりつつ、宅録できる状況を次第に作っていったわけですけど、当時はノウハウを集めるのが難しく、完全に手探りでやってましたね。機材も、音源づくりも、10年かけてやってきてますしね。
- –:soundcloudに出していたりしていたんですか?
- New K: 誰かに聴いてほしいという気持ちもありましたけども、それは全然やってなかったですね。モチベーションの根本として、自分が聞きたいと思える音楽を作っていくというのがあるんです。料理でいうと、どんだけうまいカレー屋さんがあっても、自分でスパイスを調合したりして、うまいカレーを作ってみたい、そういう感じで作っていたんです。加えて、バンドを組んでいたこともあってか、自分で作った音楽に自分が満足できない!という心境でもあったし、他にも良い音楽もあるし……とも思っていたので、世に出す意味のありそうな音楽を作りだすのは、かなり時間が経過してからでしたね。
- –:なるほどです。ここでちょっと音楽の話に戻るんですが、最初にお伺いしていたときは、ロックだったりヘヴィ・メタルが好みで、3人組バンドのときはデジロックなバンドだったのが、FUNLETTERSでは全く異なる音楽になってますよね?明らかに聴く音楽が変わっていて、どこかのタイミングでパラダイムシフトが起こっているように思えるんですが、自覚的でしたか?
- New K:それは確かにあります。さっきもお話したように、Linkin Parkが好きでしたし、Limp Bizkitも好きだったんですけど、スクラッチ音が気になったんですよ。調べてみると、DJという存在を知って、DJが回している音楽ってなにかと調べたら、ヒップホップとハウスミュージックに繋がったんです。そこからどんどん聴いていったというのが最初です。最初に気持ちよさを感じてハマったのは、The Chemical Brothersでしたね。
- –:そこでビッグビートへと繋がるんですね。
- New K:そうですね。ほかにもOrbitalやThe Prodigy、Underworldも聴いていって、どんどんハウス系のサウンドも聴くようになりましたね。
- –:メタルのときといい、四天王好きですよね?(笑)
- New K:基本的にミーハー気質なんだと思います(笑)MTVをよく見ていましたし、ミュージックビデオと一緒に入ってくる情報の濃さが、いま自分が住んでいる街とはかけ離れたもので刺激的でしたね。すぐにTOP40で流れているような曲をチェックしたりしてましたよ。
- –:なるほど。それでもなおFUNLETTERSのサウンドとは距離感を感じますよ。
- New K:これはぼくの好みの問題なんですけど、音を削ぎ落としていく、シンプルにシンプルにと努めるところがあるんです。自然とそうなってしまうのかもしれないです。それでいて荒削りな部分も残したいので、展開が細かくなったり、音数が多くなってしまうと、できるだけ減らしていくという風につくってます。
- –:今作を聴くと、その点がはっきりと分かりますね。話をもとに戻しますが、さきほど「世に出す意味のありそうな音楽を作りだすのは、かなり時間が経過してからでした」と仰ってましたが、世に出す意味のありそうな音楽を作ったタイミングで、Chami.さんに声をかけた、ということなんでしょうか?
- New K:そうですね。
- Chami.:そうなんだ。
- –:それがハッキリとわかった曲などはあるんですか?
- New K:うーん……前のバンドでは歌を作っていなかったので、歌メロディが一切作れなかったんですよ。カラオケも嫌いで、自分で歌うのも嫌なくらいだったので、歌心がまったく分からなかったんですよ。作りたくても作れない、というところからスタートしているんです。そのなかで、Chami.に声をかけた2016年ごろに、ようやく歌モノらしきトラックを作ることができたんです。
- 草野・Chami.:「らしき」……?(笑)
- New K: 打ち込みで歌モノを作っている人は、どうしても鍵盤を叩いて作りましたっていう感じが出てしまうと思うんですけど、当時はもっとひどい状態だったんですよ。
- Chami.:ボカロで歌メロをつけていたよね?
- New K:そうそう。ツールとして使っていたんですよ。「救世主だ!」と思ってましたよ。ただ、ボーカロイドの声色がどうしても平たく感じていたので、ボカロ曲を作ろう!とまでは思えなかったです。プリプロのガイドボーカルとして使う感じですね。まだFUNLETTERSとして声をかけるまえ、「睡眠転生」という曲ですね。
- –:再び手を組んだのは、やはりその時の制作が大きかったんでしょうか?
- New K:ほかのボーカリストさんと制作することもあったんですけど、やはり特別なものを感じる事が多くて、「継続的にやってもらったほうが良いな」と素直に思えたんですよね。2016年ごろだったかなと思います
- –:ライブに出始めたのは、2017年の3月ごろとのことで、わずか1年でライブ活動を開始しているんですよね。
- Chami.:それまでバンドを組んでいましたし、練習をするのもスっと自然にやれましたね。「練習しよう」「はい」っていう流れで(笑)
- New K:打ち込み系ユニットの場合、曲をどう解体して、どういう風に見せるか?どういう風にライブで演奏しようかという風に重点を置かなくちゃいけないんですよね。なので、前もって計画をして、そのプランを試していくという感じです。極端な話、再生ボタンを押したら音楽は流れるわけで、そこからどうするの?という感じなんですよね。
- –:2017年にライブ活動も小規模ながらやれるようになって、音源も作っていくわけですけど、当時感じていた次の目標ってなんだったんでしょう?
- New K:いい曲を作っていたいというのは、常に考えているんですよ。新しい曲を作りあげても、数日経つともっといい曲を作りたいと思えてくるので、それの繰り返しですね。「キャパ何人のライブハウスでやりたい」みたいな、そういうことは考えてないんです、むしろそれは、曲についてくるものなんだと思ってます。
- Chami.:わたしにとっては、彼の作る曲に合わせられるボーカリストにならなきゃならないな、というのはあります。例えば、「まっすぐ唄ってほしい」と言われて唄ってみたら、「それは違います。そういう感じじゃない」と要求されたりするんですよ。ここまでキツイ言い方じゃないですけど、もっとうまく歌いこなせたらなと思います。
>次ページ:なるべくジャンルっぽさや、記号性を持たせないように、自然なままに作っていく
『Untouchable(KOIBUCHI MASAHIRO Remix)』/ FUNLETTERS
2019年6/5リリース
フォーマット:デジタル配信
レーベル:agehasprings Tracks
Spotify
1 2
2019.6.1 13:12
カテゴリ:INTERVIEW, PU3_ タグ:electro pop, funletters, JAPAN
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