【INTERVIEW】北京一、山岸潤史(ソー・バッド・レビュー)

北京一、砂川正和、山岸潤史、石田長生、永本忠、ベーカー土居、国府輝幸、チャールズ清水を擁した伝説のスーパー・ソウル・ファンク・バンド、ソー・バッド・レビューの1976年の未発表ライブ音源が公式に発売され、そこに収められた濃厚なファンクネスは、当時を知る人にとっても、オリジナル・アルバムで知ることのなかった、これぞソーバッド!と驚きをもって迎えられた。
本CDアルバム「The Other Side of Sooo Baad Revue」が発売された直後の6月某日、横浜のスタジオで、チャールズ清水が、1978年の隠れた名作ソロ・アルバム「マイナー・ブルース」以来44年ぶりに新作をKenKenやニューオーリンズから来日中の山岸潤史らと録音との話を聞きつけ、翻訳家でライターの森田義信氏とうかがい、ちょうどスタジオに居た北京一と山岸潤史に、ソー・バッド・レビューの話を訊いた。

こんなことやってたんや!ええやん!って(北京一)

-:この発掘音源が出て来て、それを聴いたとき、まず、どう思いましたか?
山岸潤史(以下、山岸):そりゃ、懐かしい!だわ。
北京一(以下、北):そやね。
-:46年も前のものですから客観的に聴けたんじゃないですか。
山岸:うん、P-FUNKみたいなジャムやってるなあ、と思ったわ。
北:こんなことやってたんや!ええやん!って。
-:R&B、ソウル、ロックと、関西のシーンが熟してきた中で、ソー・バッド・レビューは、遂に出て来た最終兵器、と謳われたわけで……。
山岸:何も覚えてないわ。
北:やったことも覚えてないから。
山岸:で、最初の頃はジャムやってたんやね。リハもやったことないし、ママリンゴ(京都河原町のクラブ)でやってたジャムをそのまま続けただけで。
北:ぼくは、その山岸のバンドに転がりこんだゆうだけでね。それが、段々とこんな感じになっていったんやな、って、この音源聴いて、凄いバンドやってんな、と思いましたね。
山岸:このライブ音源はオレがアメリカから帰ってきて、ちょっとしての時期でしょ。だからオレが居らんときにやってたのと一緒にやり始めたときのものがちょうどよく混ざったものになってるね。
北:ぼくらメンバー大体アメリカ行ってたから、順繰りに。このバンドは山岸のバンドやからな。
山岸:“Keep On Steppin”(M4「Keep On ポテちん Brothers」)はやってたよね、初期から。アメリカから帰ってきて京一の家で中古で買ってきたファット・バック・バンド、2人で聴いて、コレやコレってな。そのときにいろんなアイデアが出来てきたんやな。



ないない。音楽的なヴィジョンは誰にもなかった。(山岸潤史)

-:こんなバンドにしようというヴィジョンはあったんですか?
山岸:全くない。
北:ないな。
山岸:こういうメンバーを集めて、っていうヴィジョンは、ベーカー(土居)の中にはあったかもな。
-:そのベーカーさんの頭の中には、こんな音にしたいというのはあったんでしょうか。
山岸:ないない。音楽的なヴィジョンは誰にもなかった。
-:しかし、こんな音を出すバンド、他になかったじゃないですか。どうやってこうなったんでしょう?
山岸:つまり、メンバー個々のセンスが……
北:一緒になってね。
山岸:それだけ。
-:それで、あんなに黒くなるんですか?
山岸:そう。
北:山岸はウエストロード・ブルース・バンドやんか、黒っぽいわけよ。(ドラムの)ベーカーもアメリカ行って、バーナード・パーディー!ワァッー!とかな。
山岸:(ベースの永本)忠も、ウィリー・ウィークスやチャック・レイニーなんかね、カーティス・メイフィールドよく聴いてたし。
北:それは自然に出てきたもんやったね。石田(長生)は、ロビー・ロバートソンだったかな。
山岸:忠はロン・カーターも好きやったし。あと、大体みんな、メンフィス・ソウルな、スタックスやハイ・サウンドにハマリ出した頃やったな。あと、クルセイダーズやキング・カーティスもな。そういった個人の好みが一度に集まったんやな、で、こうなったんやね。



クロスロード、交差点やね。(北京一)

-:ソーバッドで集まる前に、メンバーの繋がりはあったんですよね?
山岸:まあ、個々それぞれに繋がりはあったけど、バンドをやろうという感じではなかったね。
北:僕がロスアンゼルスに居たときベーカーがアパートに来て言うわけ。ここに山岸がいて、お前がここ、そんで石っしゃん(石田長生)がいて、すごいバンドで出来るな、と彼の頭の中にはあったんやけど。
-:音楽的にこうしていこうとか、ファンクやろうとか、そういうのは……
山岸:何もない。ただただ、そういう人間の集まりだったわけ。こういう音楽をやろうぜ、というのが一切なかった。
北:一緒に楽しもう、だけやったな。
山岸:そう、それがグルーヴになっていった。
-:この頃、大阪はブラック・ミュージックで燃え盛っていて、その中でいろんなバンドが出て来ていて、ソーバッドもそういう音楽をやろうとしてるバンドなんだと思ってました。
山岸、北:全くない。
-:自分たちの好きなものをそれぞれに出していっただけだ、と。
山岸:そう。だからリハーサルはほとんどやらんかった。
北:リハはしなかったねえ。
山岸:「最後の本音」なんか、ちょうど流行ってたアース・ウィンド&ファイヤーの『GRATITUDE(灼熱の狂宴)』聴いて、これやん、てな。
-:それは意外でした。ヴィジョンや野心があるもんだとばかり思ってました。
山岸:あったら、あんなふうに解散してないわ。
北:クロスロード、交差点やね。
山岸:野心も何もなかったから、じゃあ、止めようかってね。
-:ただ、音楽やりたかっただけなんですか?
北:そう、楽しくね。
山岸:京一はずっと漫才師やってて(*ゼンジー北京の弟子、北京一・京二)、歌はやってなかったわけで、それでいいわけやん。今までなかったようなものになるわけだし。ブルースをコピーしたらブルースなのか、ファンクをコピーしたらファンクなのかっていうことやからね。
北:新しいものを作ろうという気もなかったね。



今までのバンドとは成り立ちが全く違う。だから、ああいうジャムになるわけ。(山岸潤史)

-:でも、ソーバッドの音楽は、それまで誰もやってなかったことですよ。
山岸:メンバー個々のセンス、それぞれが今までやってきたこと、それをどう受け入れていくか、そういうことが自然と交わって出来上がったんが、ソー・バッド・レビューかもな。だから、このライブ音源(CD「The Other Side Of Sooo Baad Revue」)には、最も自然な形が詰まってますよ。
北:そう、聴いてて思ったもん、おおおおお!って。
山岸:このあと、崩壊へ向かっていくわけやけどな(笑)。野心があったらもっと続けてたやろうし。(他のバンドに対し)お前らとは、ちょっと違うやろ、というメッセージを言いたかっただけやろうね。
-:当時そのメッセージを強く感じとったので、今こうしてここに会いに来てるんです(笑)。ところで、京一さんは、ディラン(*関西フォーク・シーンの中心だった難波のフォーク喫茶)で、一緒に演ろうと声かけられても断ったてきたのに、ソーバッドは何で入ったんですか?
北:これはやっぱりバンドよ。ソーバッドはバンド。もうね、背中を押される、音で体を包まれてしまうわけよ。
山岸:同じや。
北:漫才やってたころパントマイム始めたんやけど、それは無音でやるわけやけど、頭の中に音があるんですよ、それがないと舞台に上がれない。ソーバッド始めたときにそれをウワッーと感じたのよ。僕の歌は、喋ってるつもりなんやけど、こっちがウワッーと発すると、バックの音がクヮーッとね、これがもうね、一緒になってね、たまらんのよ、この感覚、未だに大好き。
山岸:会話やな、会話ってまったくそうや。お互いに包み合いながらさ、反発し合ったり、それと同じさ。そういう関係で出来たバンドやもん。君は歌が上手いとか、ベースとかギターが上手いとか、そうじゃないわけ。だから面白い話があるところに皆が集まって、ベーカーを中心にしてな。
北:泣いたり笑ったり、ライフスタイルがバンドになったね。
山岸:そう、普通のバンドじゃないなと思う、今までのバンドとは成り立ちが全く違う。だから、ああいうジャムになるわけ。
北:あの時代が生んだね。



-:奇蹟ですよね、バンッと交錯してパッと散った。ところで、この8人、2ボーカル、2ギター、2キーボード、ベース、ドラムですよね。ふたりずつ同じパートをやってる人がいて、音がぶつかる、とは考えなかったんですか?
山岸:そんなことすら考えてないって(笑)。
北:たまたま2人ずつになっただけ(笑)。
山岸:アメリカから帰ったとき、京一が迎えに来ていきなり神戸のヤマハに連れていかれて、それがソーバッドの最初、75年の11月。12月のアタマやったかな。
-:いきなりライブ?
山岸:そう。で、その1、2か月後に、このライブ(76年1月、高円寺・次郎吉)。
北:みんな、グワーッときてるよね。
-:たまたまだとおっしゃいますが、抜群のバランスじゃないですか。石田(長生)さんと山岸さんのギターは全く違うし、チャールズ(清水)さん、国府(輝幸)さんのキーボードもそう。そして砂川(正和)さんもいて、全く違うタイプの京一さんがいるからこそ、なんですね。
サブ・カルチャーじゃなくて、カウンター・カルチャーなんですよ。エスタブリッシュされたものに対して、そうじゃないんだと、好きに自由にやりたいと示してくれたのが、ソーバッドだったんですよ。
北:エラいものに対してね、グっといったろかというのは根底からありました。




まだまだ話は続くが、これ以上は、蔵出し満載、どころか関西R&Bの歴史を克明に語った、北京一、山岸潤史、チャールズ清水、ベーカー土居らメンバー座談会が、CD「The Other Side of Sooo Baad Revue」のブックレットに15千字で収められているので、ぜひ参照されたい。


聞き手:森田義信 まとめ:金野篤



『ジ・アザーサイド・オブ・ソー・バッド・レビュー』
/ ソー・バッド・レビュー
2022年6/22リリース
フォーマット:CD
レーベル:BRIDGE
カタログNo.:BRIDGE354
【Track List】
01. Introduction(オープニングやで~!)
02. 最後の本音
03. Little R
04. Keep On ポテちん Brother
05. 悪名 On da Street
06. 何処行った
BRIDGE
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【クレジット】
M1, 4-6 作詞・作曲:ソー・バッド・レビュー
M2 作詞・作曲:石田長生
M3 作曲:石田長生

1976年1/11
東京高円寺 次郎吉でのライブ録音

編集・マスタリング:中村宗一郎(Peace Music)
写真:糸川燿史  デザイン:北京一、田尾隆二
解説:森田義信+メンバー座談会15,000字




2022.8.21 12:00

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