【REVIEW】The Libertines『Anthems for Doomed Youth』

Anthems for Doomed Youth

『Anthems for Doomed Youth』/ The Libertines
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エフェクターなどに大きく頼らず、楽器が持っている音色をほぼそのまま使い、出会い頭でドン!と数回だけ合わせたような雑なバンドアンサンブル、 そこにはアメリカのパンクバンドのような音の厚みで畳み掛けるような技はなく、スカスカなギターリフが散らばる。野放図さと未整理具合に際立ち、上手く合わせる気すら一切ないような風体は、このバンドが持つ物語を余計に煽り立てていたかのよう。

昔からずっとそうであったろう。The Libertinesというバンドは。そういうバンドだった。

路上のブルースマン同士が意気投合して結成し、ベーシストとドラマーを携えてこのバンドは動き出した。デビューした当時ですら、結成して1年を過ぎていたかどうかも怪しい活動歴だった。カールとピートの過激な言動も加わって、酒浸りのアル中の千鳥足のような彼らの足取りに、『未来がないだろう』と言った人はあまりに多かっただろう。

薬物・クスリ・酒にまつわるロックンローラー伝統の荒事は、当然に死をもたらしてしまうこともある。指折り数えてみれば星の数ほどいるであろう死者の魂、熱狂の時代と氷河の時代を交互に迎えながら、ロックンロールは歴史を紡いできた。

そしてもう既に分かりきっていることかもしれないが、ロックンロールで人々を熱狂に導くロックバンドの魂は、何度か深い眠りにつくアンデッドのミイラなのようなものだ。ファショナブルにでもスピリチュアルでもいい、ロックンロールという音楽に心酔していく人間はごまんとあれど、容姿と才能と運と精神性を兼ね備えた人間は実のところ多くはないのだ。

The Libertinesというバンドは、確かにその魂をもったバンドだった。ロンドンを中心にしたイギリス国民だけでなく、ロックンロールを愛する誰もが放蕩者に何となく愛着を持っていた。僅か5年にも満たなかった00年代の彼らの足取りはあまりに鮮烈で、再来を迎えた今ですら、一定の期待をブクブクと炙り出してしまう。『さぁ今度はどんなブルースを歌ってくれるんだい?アンデッドよ』といった調子で。

今作はドライヴィンするロックンロールを奏でる彼らを見事に封じ込めている、「Barbarians」「Fame and Fortune」「Fury of Chonburi」には、少なくともこれまでの彼らとは思えないほどにタイトな演奏を聴くことができる。
実のところ、The Libertinesが特別であり続ける理由は、リズムからモタモタと遅れたり、ときにハシってしまったり、アンサンブルが崩れそうになる一瞬を幾度 となく聴かせてくることにあると思っていた。だが不安定な演奏からはかけ離れた今作において、歳と重ねてブルージーな薫りを灯し始めたメロディや一つ一つの言葉に至るまで、彼らなりにキッチリと奏でようという姿を見つけることができる。
その一端はピアノを奏でて歌い上げる「You’re My Waterloo」にも表れている。『破滅的な青春時代のためのアンセム』、もしかすれば、彼らは過去の自分たちに、キッチリとさようならを告げて、 けじめをつけたいのかもしれない。

しかしながらどことなく、ヨレてしまう、ユライでしまうのが彼ららしい。少しだけモタって奏でられる6弦の揺らぎは、うだつの上がらない歌声とともにして、まるで眠気目でうっとりとした表情で受け答えするかのよう。
性急さに訴えようが、8ビートからレゲエのビートへ移り変わるなどのちょっと変化を入れ込もうが、いくらかキッチリとしたアンサンブルを目指そうが、ほんの少しだけ、昔の彼らの姿をみつけることができてしまう。
細部に神は宿ると故事は語るが、生き返ったゾンビには、神など関係ない。僕らが愛すべき放蕩者は、これまでの生を振り返りながら、いつまで続くとも知れない2度目の復活を楽しんでいるようだ。



テキスト:草野こー(@kkkkssssnnnn

2015.10.1 8:13

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