【INTERVIEW】Gi Gi Giraffe『Gi Gi Giraffe』

h0zz4kyo

ジャンルレスに、シームレスに、まさに壁を乗り越えていく・・・その刺激的な爽快感、もしかすれば聞く人が聞けば、今回の主役Gi Gi Giraffeによるデビューアルバム『Gi Gi Giraffe』は椅子から転げ落ちるほどに刺激的な作品だろう。

今回、Gi Gi Giraffeの山本に直撃インタビューを行なった。音楽的源泉/己のバイオグラフィ/各作品群に答えるとき彼は、左手でアゴをさすりつつ、言葉を明晰に選んで、今回で2回目だというインタビューにも真摯に答えてくれた。

彼は、<音楽をいかに刺激的に響かせようか?>という苦闘を話してくれた。もしかするとかなり裏話っぽく読めるかもしれないし、このバンドや彼自身の音楽センスが持つ多様な可能性にも触れているのかもしれない。彼らのもつ可能性は、後出しジャンケンのようにはめ込むジャンル性を飛び越えていける、今回のインタヴューでその一端を感じていただけると嬉しい。



「オレがやれることっていえば音楽しかないんじゃないのかな?」とも思えたんですよね(山本)

草野:新作『Gi Gi Giraffe』や『Home Made Works』を聴いてまず最初に思ったのは、英語の発音が非常に良かったことなんですけど、海外にお住まいだったんですか?
山本:いやぜんぜん、海外に行ったこともないですね。生まれは東京です。もともと学生の頃から英語が得意で、大学では英文学科で、英会話にも1年ほど通っていたんです。宅録も高校1年のときくらいから始めたんですけど、「日本語で歌詞を作るのが難しい、英語で作れないか?」と悩んでいたとき、当時通っていた英会話の先生がバンドをやっているのを知って、先生に添削してもらってましたよ(笑)
草野:あの流暢な英語にはそういった秘密があったんですね(笑)どんな感じで音楽と触れ合ってきたんですか?
山本:中学2年生のときにギターを触り始めたのが大きいですね。父や兄の影響で、家に何十本もギターが置いてあったんですが、そこからですね。最初は独学で始めたですが、その頃にGreen Dayの『American Idiot』が発売されてたこともあって、最初はパンクな曲からはじめました。「オレが知ってるあの曲も、こうしてコードを弾くだけでできるなら、オレでも音楽作れるんじゃないかな?」と思わせてくれたのはとても大きいですね。
草野:他にはどんなバンドを聴いたり弾いていたんでしょう?
山本:その時はメロコアなバンドばかりですね。Sum41、New Found Glory、Good Charlotteはパっと思いつきます、この辺は兄の影響が大きいですね。兄もどんどんとそういった音楽から、違う音楽へ・・・ロックンロール・リバイバル世代や60年代ロックバンドの音楽を聴くようになって、僕も聴くようになりました。The Vines、The Strokesみたいな、The○○sみたいなバンドはだいたい好き!みたいな感じで(笑)




草野:僕も当時高校生くらいだからそのあたりも聴いてました。The White Stripesとかはどうでしょう?
山本:もちろん好きですよ。彼らとGreen Dayのようなメロコアバンドに比べると、スリーコードでガンガン押していくのは変わりがないんだけども、ちゃんとメロディに沿って歌うんじゃなくて、変なメロディをテキトーな音程で唄っても、むしろガナったり叫んだり構わないんだというのを教えられたと思います。僕自身は歌が上手いほうじゃないので、非常に勇気づけられましたし、モチベーションにもなりました。そのころ僕は高校生だったんですが、自宅にあるパソコンは兄と兼用している状況で、iTunesには僕が聞きたい曲と兄が聞きたい曲が同じようにiTunesに入っていて、「これは良い曲だ!」「これはないなぁー」と色々聞ける環境だったんです。無理やり聞かされているような状況ではあるんですけど(笑)そうして聴いていくうちに「オレならもっと面白い曲がつくれる」「こうしたほうがいいんじゃないのか?」という気持ちがドンドン芽生えていったんです。


草野:なるほど、その後に大学へ入学し、その時にメンバーとも出会えたわけですね。
山本:いまのメンバー・・・・ドラムの上村とは青山学院大学のビートルズ訳詞研究会というところで会いました。好きなバンドも結構被っていたし気が合うので、そのまま結成しましたね。Gi Gi Giraffeの名義を最初に使ったのはその頃だったので、正確にいえば2011年暮れのころだったかなと思います。そのときはドラムと2人と2ピースバンドだったんですが、ゆらゆら帝国が好きだったので2人でゆらゆら帝国のようなサウンドでやってましたね(笑)さっき言っていた宅録の音源は全部英語詞だったんですが、「あまり英語にこだわるのもおかしいよな」という思いもあって、この頃は日本語歌詞の新しい曲でやってました。
草野:ライブを回ったりしたの?
山本:さきに言ってしまうと、この頃ってライブハウス事情が全くわかっていなかったんですよね(笑)オープンマイクで誰でも参加できますよーという感じの場所を見つけて、「やってみようぜ」と思って勇んで行ってみると、おっさんが店主のカラオケスナックバーのようなところで(笑)
草野:そこでやったの!?
山本:演者スペースが2人でギリギリ入れるし、ライブ費用は1000円だけだし、「これは武者修行だ」という気持ちで何回か出ましたよ。僕らと常連のおっちゃんとアニソン歌うお兄さんという出演順、ものすごく浮きましたね(笑)
草野:曲作り自体は高校の頃から始めていて、どのような感じで作っているんでしょうか?
山本:基本的にはGarage bandで使ってます、10年くらいずっとこいつでやってますね。ギターは家に何本もあるし、ベースも家の中にある、ドラムに関しては打ち込みにはなりますが、ずっとバンドサウンドを1人で作っていくスタイルで10年作り続けてきましたね。
草野:なるほどです。大学2年生3年生まで続けていた活動が一旦止まったのはなぜなんでしょう?
山本:一つは就職活動ですね。もう一つは、ライブ活動を続けるのも大学生としてみると金銭的に厳しくなってきたので、ライブ活動をやめる方向になりました。ただ、そこで音楽を作ること自体をやめなかったのは、もしも自分が就職して人生を生きていくとなると、ものすごくつまんない人生を歩んでしまう、本能的ですがそんな気がなんとなくしたからなんです。なので、高校の時みたいに宅録で音楽を作るのはやめずに続けたんです。そのまま2年ほど経って大学も卒業したあと、たまたま遊びでドラムに音源をきかせたら、「やっぱり面白そうだし、バンドを復活させよう!」となって活動再開したんですよね。
草野:転機と言えるのは、そのまま音楽を続けて、バンド活動をも再開したことですよね。2年ほどの時間が空いて、大学も卒業して社会人にもなった、端的に言って、なぜだったんでしょう?
山本:うーん・・・日々過ごしていくうちに強くなっていったんですが、「オレがやれることっていえば音楽しかないんじゃないのかな?」とも思えたんですよね。正直言って僕の家庭は、父は役者として活動をしていて、母もダンスを教えているんですが、僕自身はサラリーマンとして生きていける姿を想像できなかった。しかも両親はぼくがどう生きていくかにまったく何も言わないし、僕は僕で好きに生きていける、これは両親と僕の間の利害は一致しているぞ?と気づいたんです。
草野:ちょくちょく思うんだけども、山本くんは聡い、鋭いですよね。論理的というか(笑)
山本:そうですか?(笑)僕は自分の家庭が他の家庭と明らかに違うというのをすごく感じていて、子供の頃からコンプレックスだったんですよ。親からは叱られたりすることもほとんどないのに、社会に出て叱られたりするのに耐えられるわけがないよなって思っていたりして。そうならば、自分が自由に生きたほうが、周りの人間のためにも有効に働くよな?と思ったんです。



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2016.11.16 12:00

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