【INTERVIEW】日本を代表するブルース・バンド ブレイクダウン そのマネージャー、中根義之氏に訊く
幻のブレイクダウン!その初期集大成たる1978年のライブ音源が初CD化となる。それは、服田洋一郎と近藤房之助、その2つの強烈な個性がぶつかり合うスリリングなステージが見事にパッケージされたライブ・アルバムである。この音源マスターは、1983年からブレイクダウンのマネージャーを務めた中根義之氏所蔵の約200本のライブ・テープから選びに選んだものである。発売に際し、氏に当時の話を伺った。
私自身は73~4年頃のブルース・ブームでブルースを知り、のめりこんだ第2世代になります
- –:1970年代前半から半ばにかけて日本では猫も杓子も空前のブルース・ブームがあったと聞きますが全くピンと来ません。実際どのようなものだったのでしょうか。
- 中根:私自身は73~4年頃のブルース・ブームでブルースを知り、のめりこんだ第2世代になります。この頃の様子は後に第1世代の方から聞いた知識になりますが、その頃のブルースはサブカルチャー系のメディアには相当取り上げられていたようで、音楽の嗜好が雑食だった私でさえB.Bキングを聴く機会があったくらいです。
- –:中根さんは、もともと、どんな音楽が好きだったのでしょうか。
- 中根:60年代はグループサウンズ、70年代に入ってロック、フォーク、ポップス何でも聴いていました。74年のブルース・ブームの時、B.Bキングの「スリル・イズ・ゴーン」を聴いて一気にブルースに傾斜していったんです。
- –:そのブームの中で中根さんは……。
- 中根:ブルース原理主義者だったです。他の音楽を一切聴かない期間がその後3年続きました。ちょうどその頃に来日したジェイムス・カーなどのR&Bさえ行かなかったくらいで、今じゃ大いに後悔していますが。いつもブルースのレコードを持ち歩いて、いく先々の店でBGMにしてもらう“ブルース・テロ”を繰り返しては顰蹙を買っていました。
フロントが2名の強力なバンドを作ったわけです
- –:ここに74年7月のニューミュージック・マガジンありますが、京都のブルース・シーンが大きく紹介されています。
- 中根:ピークは74年だと思われます。同じく74年5月号のコンサート欄を見ると7つのブルース・コンサートが開催されています。出演者は「レイジ―キム、スィートホーム・シカゴ、ブルース・ハウス・ブルース・バンド、サンハウス、ファッツボトル・ブルース・バンド、ウエストロード・ブルース・バンド、ウィーピング・ハープ・セノオ、マッド・ブルース・バンド、ウインディ・シティ・ブルース・バンド、ストーミーマンディ・ブルース・バンド、山口アキラ・グループ、憂歌団、など」このコンサート記事で紹介されたバンドのうち6割はブルース・バンドでした。
- –:そのブルースハウス・ブルース・バンドがブレイクダウンへとなるわけですが。
- 中根:74年は郡山ワンステップ・フェスティバルや8.8ロック・ディなど大きなコンサートに出演して、絶頂期のブルースハウス・ブルース・バンドがこの年の秋、東京、名古屋、京都で自主コンサートを開催してあっさりと解散します。その後、服田(洋一郎)さんはシカゴへ渡り、帰国後の76年にブルースハウスのメンバーであった森田(恭一)さん、小川(俊英)さんと、名古屋の近藤(房之助)さんを呼びよせた。当時のバンドは、基本的にフロントは1人だったところ、近藤さんをメインにして自らも歌う、フロントが2名の強力なバンドを作ったわけです。
77年頃には服田洋一郎のスタイル、近藤房之助のスタイル、そしてブレイクダウンの原型が出来上がっていたかと思います
- –:中根さんとブレイクダウンのメンバーとは、どのように知り合い、そしてマネージャーをすることになったのでしょうか。
- 中根:75年に転居したアパートの隣の部屋が偶然、マッドブルース・バンド(後のJUKE)の集会所兼練習所で直ぐに懇意になりましてね。76年にそのバンドのギターの人がロンドンに行き、その代わりに私がギターとして加入したんです。ギターなど殆ど弾いた事はなかったんですが、ブルースを演りたくて引き受けたわけです。その後、80年代の最初頃、札幌から上京した松竹谷清さんがバンドを持っていなかったので、彼にJUKEへの加入を勧め、私はそれ以降、裏方の仕事を始めることになります。82年の秋頃、ブレイクダウンのバンマス、服田さんからマネージメントをして欲しいとの依頼があって、83年からブッキングとロード・マネージャーを86年の解散まで続けました。
- –:70年代のブレイクダウンは?
- 中根:その京都時代はバンマスの服田さんがブッキングから金銭交渉までもしていました。ある雑誌のインタビューにありましたが、マネージャー付けないの?と聞かれて「ギャラの取り分が減るからね(笑)、自分達の仕事は自分達で決めたい。取り巻きは嫌いだね」と、マネージャーに自分たちの方針や行動を決められることが嫌だったようです。
- –:76年から毎週月曜に地元の拾得でライブをやることになりました。どんな様子だったのでしょうか。
- 中根:最初は、練習を見てもらう、というような軽いノリでスタートしたはずです。ところが予想以上にお客さんも入り、拾得の、そして京都の名物にまでなりました。本音は、拾得で週に1回演奏して食っていけたらいいなと、そして、じっくりと聴いてくれる客が40人位いれば、それでいい、だったと思います。
- –:京都の人は厳しかったと想像しますが……。
- 中根:そう、下手な演奏したら次は10人は減るな、などと心配もしながらも、自分たちのペースで7年間続いたんです。
- –:ゲストもいましたね。
- 中根:ゲストは結構呼んでセッションを行いました。それが、彼らの音楽の幅をより広くより豊かにしたと思います。
- –:そうやって実力がついていくんですね。
- 中根:シカゴから帰った服田さんが自身で歌うことを決心し、名古屋から呼んだ近藤さんをフィーチャーしたバンドがブレイクダウン。それが、カッコ付くまで2年くらい掛かるかなとの思いでスタートしましたが、京都の空気と良い仲間と美味しいお酒に囲まれて、あっという間に出来上がってしまいました。77年頃には服田洋一郎のスタイル、近藤房之助のスタイル、そしてブレイクダウンの原型が出来上がっていたかと思います。そしてそれぞれのゲストが自らの成長の肥やしになりました。
日本のブルースも単なるコピーから自分たちのスタイルを確立する時期、つまり「日本のブルース」の始まりだったと言えます
- –:今回、CD化された78年のライブですが、すでにブレイクダウンならではのスタイルが確立されているようです。
- 中根:そうです。「こんばんは!ブレイクダウンです。今日はどんどん飲んで楽しんでいってください。先ずはインストから…」と始まる、いわゆるブレイクダウン・スタイルのブルース・ショーを確立させています。
- –:当然、他に影響も与えたのでしょう。
- 中根:ブレイクダウンのコピー・バンドは日本中にありました。
- –:彼ら自身のスタートはもともと……。
- 中根:ビートルズから始まって黒人音楽全般に強い影響を受け、そして自分たちのスタイルを確立しています。強引な見解ですが、誰か1人影響を受けたブルース・マンを挙げろと言われれば、服田洋一郎はリトル・ウォルター、近藤房之助はオーティス・ラッシュ、と想像します。
- –:ブルース・ブームも終り始める頃の76年にバンドがスタートしたというのも……。
- 中根:日本のブルースも単なるコピーから自分たちのスタイルを確立する時期、つまり「日本のブルース」の始まりだったと言えます。彼らはそれを意識していなかったと思いますがサラッと成し遂げました。
- –:メンバー4人、それぞれ、マネージャーから見て、どんな人でしたか?また、プレイ・スタイルや特徴も教えてください。
- 中根:服田さんは、感性豊か、でも陰で人一倍努力しているタイプです。全体的にユルめの構成のスタイルですが、必ずどこかで爆発する、その大きな落差が彼の特徴ではないでしょうか。歌い始めて2年程度で自分のスタイルを確立しましたね。
近藤さんは、潜在能力が高く、日本人には珍しく声が太くて芯が有るボーカル。黒人の難解な節回しを日本人では一番上手く再現したのが彼だと思います。ブレイクダウン末期、彼の才能は、このバンドの中では収まりきらないように見えました。その後のソロでの活動で広く評価されたのはご存知かと思います。
- ベースの森田さんは、バンドの中で自分の役割を理解し、冷静に演奏し、他のメンバーが自由に自分を主張、表現する中で全体を見てバンドの音をまとめていたと思います。他のメンバーが個性を際立たせる事が出来たのも彼が冷静に全体を見ていたからでしょう。
- ドラムの小川さんは、自分のスタイルに自信を持っていて、ドラムには珍しく主張するタイプ。テクニックの人ではないですが、彼のドラムは心に響いて記憶に残る個性が際立ったドラマーでした。
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『ライブ・イン・ナガサキ』
/ ブレイクダウン
2022年4/20リリース
フォーマット:CD
レーベル:ブリッジ
カタログNo.:BRIDGE348
【Track List】
1.Baby Broke My Heart
2.That’s All Right
3.You Don’t Love Me
4.Gee Baby, Ain’t I Good to You
5.It Takes Time
6.Don’t Touch Me Baby
7.Let’s Have a Natural Ball
8.Taxi Blues
9.Money Marbles And Chalk
ディスクユニオン
Amazon
※1978年6/24 長崎大学での録音
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2022.4.14 18:00
カテゴリ:INTERVIEW, PU2 タグ:b.b.クイーンズ, blues, JAPAN, ブレイクダウン, 服田洋一郎, 近藤房之助