【INTERVIEW】sassya-『脊髄』
もしもsassya-の『脊髄』が、2018年に発売していたら?
「もしも」を考えることは、人に与えられた特権の一つだと思う。ライトノベルのタイトルになりがちな「if」の話、「もしも」を考えることに夢があると、多くの人は言う。
とはいうものの、「もしも」を考えるだけでは、説得力が足りないことも多々ある。当たり前だが、「もしも」と考える対象そのものが、本当にヤバくなければ、説得力も欠けてしまうのだから。
sassya-の『脊髄』は、「もしも2018年の日本のロックシーンのなかで、今作が発売していたら?」と考えるには十分な説得力を持った作品だと感じている。
80’sのUSポストハードコアを愛したノイズギター、タメとハリが効いたベース/ドラムスのボトムサウンド、ガナリたてるボーカルの声、怒りと苛立ちと諦めとの間でさまよう言葉たち。どれもがノイズ・ロックとしてのフォルムでありながら、マスタリング/レコーディングの妙によって「あまりにもきれいに響きすぎるノイズロック」として封じ込められている。
いかにカッコイイロックバンドでも、「美しく・綺麗に・鮮やかに」録れなければ、その良さも打ち出せないだろう。いかにノイズなギターでも、綺麗に録り、鮮やかに仕立て上げなければ、聴くものの心を震わせることはできない。そして彼らはそれをやってのけた。
そんな矛盾をいくつも抱えながらも、彼らは今作を作り上げた。もはや情念そのもの、人間味が先にほとばしるロックバンドに出会えた、それも数年ぶりに、久しぶりにだ。その喜びは、2018年においても、2019年においても、変わらないはずだ。
新宿で呑んでいるときに「バンドやりたい、やらせてくれないと、オレは死ぬから」と言ったんです。「生きていけないです」って。(岩上)
- –: 前にインタビューしたときにもちょこっとお話はしましたが、バンドの結成はどんな形だったんでしょうか?
- 岩上 大学を卒業したあとでしたね。僕ら3人とも大学のときに面識はありました。ぼくと吉原さんが同じサークルだったんです。
- 野口 わたしは女子大に通っていたんですけど、入っていた音楽サークルが他の大学と交流があって、それが彼らのサークルだったんですよ。
- –: 大学卒業してからバンドを組んだというと、もちろんお三方とも就職なされていて、お仕事をされていたと思うんですけど、なにがきっかけだったんでしょうか?
- 岩上 それまでコピバンをしたり、オリジナル曲をやったりしてきて、就職して、バンドで音を出すということが一切できなくなる状況になるわけじゃないですか?。もうね、悶々としてしまったんですよ。正直、精神的にもおかしい感じになっていたなと思います。
そんなときに、僕らの企画ライブにも出てくださったGOUPIL AND Cさんのライブを見に行ったんです。『極東最前線3』にも出ていたバンドで、それも10年近くまえの話しですね。そのライブで本当に震わされて、ライブ終わってすぐに吉原さんに「呑みましょう」と誘ったんです。それで、新宿で呑んでいるときに「バンドやりたい、やらせてくれないと、オレは死ぬから」と言ったんです。「生きていけないです」って。
- –: そこまで言われたら、二つ返事ですよね?
- 吉原 ものすごい勢いでしたよ。
- 野口 脅しですよね(笑)
- 岩上 脅しだと思う(笑)
- 吉原 それが2012年とかですね。
- –: なるほどです。そこから野口さんが加入したわけですね。
- 岩上 最初は2人だけで始めて、何人かに声をかけたんです。でも良い返事がもらえなくて、どうしようかと考えていたとき、そういえば野口はギターもできるしベースもできるぞ?と気づいたんです。
- 野口 元々、sassya-のような音楽は聴いていなかったですし、「こういう風に弾いてと言われたものしか弾けないよ?いいですか?」と聞いたら、「いいよ」と返してくれたので、そのまま加入しました。
- 岩上 こうは言ってますけど、加入して数ヶ月したら、急に音がバッキバキになって、あれは本当に驚きましたね(笑)
- 野口 「こういうことか?」と思って変えたら、まさに求めていたものだったという。
- –: なるほど。皆さんが音楽と出会ったきっかけはなんでしょうか?
- 吉原 「良いな」と認識し始めたのは、高校に入ってからですね。兄貴が田舎に帰ってきたとき、「これ聴けよ」っていう感じでMDをくれたんです。兄貴がチョイスした音楽だったんですけど。
- –: 兄貴’s Bestですね(笑)
- 吉原 そうです(笑)そこがきっかけでしたね。一番ハマったのがTHE BLUE HEARTS、スピッツも良く聴いてましたね。高2でウィーザーとかスマパンとかを聴き始めて、洋楽を聴くようになったんですよね。もう一つべつのところだと、中高生のときに「ビートマニア」にハマっていて、あの周辺の曲はよく聴いていたと思います。
- –: 世代としてよくわかります。「ダンスダンスレボリューション」と「ビートマニア」はアンセムになりますよね。
- 吉原 ほんとそう思います。そこから、ドラムマニアをやるようになったことで、「もしかして、本物のドラムも叩けるんじゃねぇの?」って思うようになったんですよ。その勢いで大学で軽音部に入ったんです。
- –: ということは、一切ドラムを叩いたこともないまま、軽音部に入ったんです?
- 吉原 そうですね。「こうやってるんだろうな」というイメトレでずっと練習してましたね。ただ、入部したあと、腕を開いたままじゃなく、交差して閉じて叩くんだよと教えられたわけです。
- –:野口さんはいかがでしょう?
- 野口 わたしの家は、家族みんなが音楽を聴く感じだったんです。父はフォーク、フュージョン、ジャズ、J-POPと幅広く聴きますし、母はTHE BEATLESが好きで、Michel PolnareffとかKRAFTWERKを聴いていたりします。兄も音楽好きで、ヒップホップとかクラブ・ミュージックを聴いたりしてますね。
- –: そこまで伺うと、ご家族に話を聞けば、日本の音楽シーンで何が流行ったとか歴史的なことまでちゃんと知れそうな感じですよね。
- 野口 そうなんですよ。そんな家族なので、幼い頃から音楽には触れてきたと思うんです。わたしは2歳のころからずっとSMAPが好きで、中学の時にTSUTAYAでMr.Childrenを聴き始めたのが、自分から初めて選んだ音楽だったかなと思います。それまでピアノとか習っていましたけど、彼らの音楽を聴いて「ギターをやってみたい」と思って、ギターを買って弾き始めましたね。もちろんバンドもやったりして、いろんな音楽を聴いたりしていった結果、ボサノヴァにハマったことで、ソロでも歌うようになりました。で、いまは声をかけてもらったことで、sassya-のベースをやっています(笑)
1週間経って、1ヶ月経って、半年経って、「あれ?もう行かなくなって1年も経ってるぞ?」みたいな。(岩上)
- –:岩上さんはどうでしょう?
- 岩上 最初に買ったCDはSomething ELseが電波少年で歌ってた曲ですね。ガッツリ聴くようになったのはもうちょっとあと、中学のころになりますね。サンボマスターがすごく好きだったんです。雑誌の「クイックジャパン」で、山口さんが邦楽100選洋楽100選みたいなコラムを書いていて、気になって全部片っ端から聴いていったんです。一つ一つ○をつけて、「これ買った、これ買ってない」と目星をつけていって、それが中学のころでした。
- –:コアですね。
- 岩上 でもまぁ、高校は途中で辞めてしまって、学校に行ってなかったんですよ。ガッチガチの引きこもりで、大学は大検を受けて入学したんです。正直、14歳ごろから学校に行ってなくて、誰とも交流していないんですよ。夜になったらBOOKOFFかTSUTAYAに行って、CDや映画をゲットして、見たり聴いたりしていた。それが僕の10代なんですよ。
- –: これはお答えしていただけるかわからないですが、なぜ学校に行くのをやめ、引きこもりの生活に入ってしまったんでしょう?きっかけはあったんでしょうか?
- 岩上 たいした理由があったわけじゃないんです。いじめもなかったし、友達だっていましたよ。もしかしたら、自分の自我が目覚めたことで、こんがらがっちゃったんじゃないかな?と思うんです。僕自身、さっきの話のように思いつめてしまう性格なので、当時は非常に内向的だったと思うんです。中学のとき、インフルエンザにかかってしまって、1週間ほど学校を休むじゃないですか?治ったあとに「よっしゃ行くか!」っていう気になれないまま、1週間経って、1ヶ月経って、半年経って、「あれ?もう行かなくなって1年も経ってるぞ?」みたいな。
- –: 実は、ぼくも同じような経験があるんですよ。ぼくが中学校あがったとき、違う小学校が2校くらい入ってきて、合わせて3校くらいが混ざって1学年を形成していたんですけど、自分がそれまで知っていた人とは違う世界の人らが入ってきたことが違和感になってしまって、気持ち悪さがあったんですよね。
- 岩上 ああ、なるほど。
- –: で、その当時野球部に入っていたんですけど、足だったか肘だったかを痛めて学校を休んでしまって、休み明けに「よし、学校に行くぞ」と思ったんですけど、ものすごい頭痛が起こって早退して、1週間か2週間くらい学校に行けなかったことがあるんですよ。そっから頑張って行くようになって、行くようになって徐々に徐々に慣れていった、という感じだったんですよね。
- 岩上 うん、すげぇわかります。
- –: もしかしたら、このときに挫けていたら、岩上さんと同じような感じだったのかもなと、なんかいま思ってしまいましたね。
- 岩上 たしかにそうかもしれないですね(笑)でも本当に、そんな風にどんどんと行かなくなってしまったんですよね。
- –: 話をちょっと進めます。引きこもりの生活をしていた岩上さんは、なんで大学に行こうと思ったんでしょう?
- 岩上 バンドをやるためですね。ぼくが17歳のとき、サンボマスターの「僕と君の全てをロックンロールと呼べ」っていう超名盤が発売されて、それと同時にメンバー3人の超ロングインタビューが発売されていたんです。そのなかで、山口さんが会津で悶々としていた気持ちのまま、上京して、大学でバンドを組んだというのが書かれていて、良いなぁ……と思っていたんですよ。しかも、その同じタイミングで、高崎にライブしに来るというので、電車で1時間以上かけて見に行ったんですよね。
- –: すごい良い思い出だと思いますし、人生が変わる瞬間ですね。
- 岩上 さっきも話したように、当時引きこもりだったオレなんですけど、頑張って行ったんですよね。本当に、本当にショックで、まず音がデカイ(笑)出てきた瞬間に客が波打って、「ウワァーーーーーーー!!!」って唸り声が上がって、それでもう打ちのめされちゃって、「オレは絶対これをやらなきゃダメだ」と決心したんです。当時ぼくは楽器も何もやっていなかったので、専門学校に入れない、なので普通の大学に行って、軽音部に入るしかないなと思ったんです。
- 吉原 でも、確か入部したのって1年遅れてだったよね?
- 岩上 最初の1年は、東京の一人暮らしで引きこもったんです(笑)
- –: ええ……そうなんですか?
- 岩上 なので、1年留年して、5年で卒業したんですよね。
- –: その感触でいくと、軽音部で起こった様々な出来事は、非常に大きな経験だったんじゃないですか?
- 岩上 まず、人とまともに会話をするというところ、リハビリみたいなところでしたよね。
- 野口 吉原さん、カウンセラーみたいでしたもんね。
- 吉原 僕が3年のときに岩上は入ってきたんですけど、今ほど喋れていなかったんです。細かいところは色々と忘れていますけど、一つ忘れられない出来事があって、部室のスピーカーでニール・ヤングを爆音で鳴らしていたんですよ。
- 岩上 無言でね。
- 吉原 そして無言で帰っていって、「やべぇの来たな」と(笑)意味がわかんないですよね。
- 岩上 ギターも入部したタイミングで弾き始めましたけど、完全に独学で、弾けてるのか弾けてないのかもわからないような感じでしたよね。曲も大学に入ってから作り始めましたけど、今だったら全然良いとは思えないレベルですよ。最初のライブのとき、オリジナルでやりたいと押し通してみたものの、「これでなんの反応もなかったら、死ぬ」っていうくらい思いつめてましたしね。
- 野口 バンド始めるときと一緒だね(笑)
- 岩上 そうね(笑)幸いにも、吉原さんや他の方々が反応してくれて、ちょっと安心したんです。
- 吉原 そこから心開きはじめて、色々と話すようになったんですよ。
次ページ ほぼほぼ初対面、「よろしくおねがいします」と出会って、音でぶつかりあうような、そういうものを今後も求めていきたい(岩上)
『脊髄』/ sassya-
2019年1/9リリース
フォーマット:CD
レーベル:Kerosene Records
カタログNo.:KRSE8
価格:¥2,000(税抜)
【Track List】
1. 東京
2. No way
3. SANE
4. over (Album ver.)
5. dear steel
6. manner
7. だっせえパンクバンド
8. T
9. 脊髄
2019.1.13 21:00
カテゴリ:INTERVIEW, PU3_ タグ:JAPAN, sassya-
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