【REVIEW】MONO NO AWARE『AHA』
文頭から言い切ってしまうのは申し訳ないのだが、MONO NO AWAREによる「AHA」は「慈しみ」の1枚だと思う。
慈しみとはつまり、大切にし、大事にしようという気持ちだ。今作には「慈しむ」という感情が、脈々と流れ、溢れ出ている1枚といえよう。
彼らは「慈しみ」を奏でる、1曲目は「東京」という曲だ。
コアメンバーである玉置周啓、加藤成順は、東京都八丈島出身。同じ東京というくくりに入りながらも、島のなかで生まれ育ち、都会とは無縁に生きてきた。そんな彼らが
「みんながみんな 幸せになる方法などない
無理くり手をつないでも 足並みなどそろわない
でもみんながみんな 悲しみに暮れる必要はない
無理くりしぼり出したら それはもう涙じゃない」
「ここは東京 僕の東京
いつも望郷のまなざしを飛ばしながら
まだ見ぬ新たな母を探している
気がしていたよ東京 歩き続けて東京
幻の街東京 君のいる街東京
そして色づく東京」
と歌うとき、故郷と都会が二重にダブって響いていくのがわかるだろうか。
シティボーイでもなければ、カントリーボーイとも言い切れない、八丈島生まれの玉置と加藤にとって、この「東京」という言葉からにじむ想いは、多くの人にとっては想像しきれないだろう。
彼らが「東京」のなかで象った<僕>と<キミ>は、羨望の眼差しをむけ、未だ満たされぬ渇望を抱えた街として、東京に想いを寄せている。だが同時に「まだ見ぬ新たな母を探している」、東京(≒羨望/渇望に満ちた場所)ではない場所を探そうとしているのだ。
約1年前に彼らにインタビューした際に、こんなことを話してくれた。
「感情を押しつけてくるような作品が苦手で、クサイと思ってしまうんです。バンドのみんなもそうだとは思うんですが、そういうものに対してドライなんです」
「ある程度の恣意をもって書いてはいるんですけど、それを遥かに超えることを導き出したりしてくれてる。とても嬉しいことですし、そういうのが断定しない面白味に繋がってますよね。言葉は悪いですけど、聞いてくれた人が都合の良いように解釈して、自分の決断や考え方に影響を与えている。だからこそ、怒りや悲しみといった強い感情を避けて、どう表現したらいいかわからない感情や感覚を描いていきたいと思うんです。」
今作でも彼らは、自分たちの気持ちを聞き手に押し付けるような言葉を並べてはいない、それは「東京」の歌詞を一読一聴すれば感じ取れるはずだ。
強いて言えば、「機関銃を撃たせないで」のなかで、日本のSNS上コミュニケーションやメディアの報道姿勢に、一石を投じるような言葉をリリカルに記してはいる。別段、MONO NO AWAREのバンド自体、または4人のメンバーがそれぞれ、なにかのパッシングを受けたという話を僕は見聞きしていないので、この曲はいわば「第三者がその事象について思うところ」を歌っているのだ。
この2曲と同じように、それ以外の曲においても、彼らは心の輪郭をなであげ、聞き手の想像を促すような言葉が次々と記している。この点において1番に鋭く刺さるのは、「轟々雷音」だろう。昨年の中国ツアーでの影響からか、中国語のように漢字のみで言葉をとり、送り仮名と読み方を聞き手に想像させることで、歌詞を自由に解釈をさせるように仕向けている。この手法には驚かされた。
もののあわれ、というバンド名と根幹は前作からブレておらず。「かごめかごめ」では童謡「かごめかごめ」の一節をコーラスで歌い、大切な人との別れと思い出が頭を巡っていくという内容にしあがっている。
白眉なのは「センチメンタル・ジャーニー」だろう。この曲も解釈によって様々あるが
「空を見上げて離れた君を思う」
「しょうがないよ 彼はもう無重力だから」
という節々に、君であり彼であり人物は亡くなっており、その人物へ想う歌となっている。
どう表現したらわからないような感情を描きたい、そう語っていた彼らが、今作で丹念に描写したのは、いわば「望み」であり、「気持ちを寄せよう」ということでもある。アルバムタイトルとなった「AHA」という言葉は、人は何かに気づいた際、ひらめいた際に脳が活性化するといわれるアハ現象から拝借したものだ。
あり得たかもしれない未来、もう戻ることのできない過去、もう会うことが叶わないひとや景色、そういったものを一つ一つにフッと、まさにアハ体験のように気づき、それらに向けて彼らは言葉を編み、感情をこめていく。それこそが、大切な存在に何かを望み、気持ちを寄せていこうということであり、「慈しみ」という感情へと繋がっていくことになる。
オールディーズでシンプルなロックンロールテイスト、ジャングリーなギターポップとも、フォークギターを持ったシンガーソングライターとバンド3名というような聞こえ方だってしてしまうかもしれない。だが、曲展開とコード展開が一聴ではまったくシンプルではなく、各楽器隊のユーモアセンスと玉置のひらめきに支えられつつ、MONO NO AWAREサウンドが炸裂しているのは前作から変わらない。
と同時に、彼らのバンドミュージックにもある程度の変化がある。デビュー作で見せたような奔放な曲展開ではあるが、1年近いライブ行脚の影響か、ライブで映えるように意識したバンドアンサンブルやフレーズも随所に差し込まれていることだ。
見た目と音楽性から非力なイメージに思われがちだが、彼らのライブは元来持っていたユーモアセンスに加えて、バンドアンサンブルでグっと魅せつけるパワフルさも一つの武器になりつつある。今作の楽曲が、ライブでどのように化けていくのか、そのバンドアンサンブルのなかで、今作のメッセージや「慈しみ」の心がいかに表現されるのか、いまからでも楽しみなのだ。
2018.8.1 12:00
カテゴリ:PU3_, REVIEW タグ:mono no aware