【REVIEW】CICADA 『Loud Colors』
「タイトなジーンズが流行りだしたのってBOAのあの曲くらいからだったっけ?」
久しぶりにあった友人とぼくはそろそろ体型が気になりだす年齢に入り、どんな服やファッションをしているか?という話をしていたとき、こんな話になった。
「別にタイトなジーンズが売れればいいけども、そういうタイトだったりミニマルだったりソリッドなものだけじゃなくて、他のラインナップのなかにも良いものがあれば、絶対そのブランドって売れると思うんだよね」
そんなことを友人は話し、ぼくは大いにアリだと思っていた。秀でたモノだけを生み出し続けることだけに満足してしまっては、これからの時代では満足できない人が出てくる、それはスマートフォンのような手軽かつ器用に対応できうるようなアイテムが生まれたからこその意識であろう。
CICADAの前作『Bedroom』は、ミニマルかつ抑制されたタイトに心がけた演奏と一発録り気味にミキシングされたサウンドスケープ、ネオソウル系R&Bのグルーヴと城戸の歌声が角砂糖1個分のエロティックさを振りまく。そう、この作品の時点ですでに彼らは、自身が目標とすべき/生み出せるであろうサウンドスケープを感じ取っていたのだ5と思う。
先月公開したインタビューで詳らかになったのは、昨年1年でのライブ活動を通して自覚と成長を遂げたメンバーの言葉であり、朧気ながらも見えていた理想的な形へとどのように到達すべきか?という疑念だった。あるものは自己の表現を研鑽し、あるものはバンド全体の方向性を模索し他のメンバーを引っ張っていった、その結果が今作『Loud Colors』にはある。
メンバーの言葉を借りれば「YES」が核になったとというが、彼らの現在地を計り知るには「No Border」が最も響くのではないだろうか。
木村や及川の言葉通り、ラップを取り込むことで非常に大胆なナンバーとなった「No Border」からはストリートカルチャーらしい軽快さを感じ、同時に表現として非常に力強くなったように見える。
『No Border New Sound From CICADA』
『Tokyoの片隅で光を照らす』(No Border より)
この詞は、己への自負心や自身がどのような存在なのかというイントロダクションを力強く言い切ってみせており、新機軸の一曲として十二分のインパクトを持っている。HIP-HOPの演者が悪ぶっているからという影響はなく、そういったバッドボーイへの憧れもほとんどない、己が紡ぎたい詞を紡ぐために歌おうとしたら自然とラップになってしまった、という風体。「こんなこともできますよ」という背伸びした回答ではなく、「これを鳴らしたいのだ」という自然な宣言、そんな曲が1曲目にドンと入ってくるのだ、彼らの成長を感じずにいられない。
ライブでは櫃田のドラミングが中心となってアンサンブルは重なっていく、彼の手によって叩き鳴らされる甲高い音色が特徴的なドラミングは、今作ではより冴えた音を鳴らしている。彼と木村とで組み合わさったボトムサウンドもキーボードの音色も街を歩く調べのように思えてくる、サステインと残響音をほぼ排したフレージング/機材セッティング/ミキシングが成されており、クッキリとした音像はシャープかつスマート、何より彼らは<無駄足>を踏むことなく自らの心の中を詞にのせる。
『誰かの詞に迷うような夢なら 初めから見ないさ 嘘じゃない いつでも本気さ』(YES より)
<タイトだったりミニマルだったりソリッドなものだけじゃなくて、他のラインナップのなかにも良いものがあれば、絶対そのブランドって売れると思う>とぼくの友人は話した、今作でみせたヒップホップやラップへのアプローチは単なる背伸びしただけの回答なのだろうか?彼らのこれからの作品や活動に大きな期待が持てる一作だろうし、このドライヴィングかつメッセージ性ある作品に打ち震えてほしい。
テキスト:草野虹
2016.4.13 0:32