【INTERVIEW】Tsudio Studio

2018年7月にLocal Visionsより架空の神戸を舞台にしたE.P.『Port Island』をリリースした神戸出身在住のミュージシャンTsudio Studio。2019年11月には前作『Port Island』のLP盤、12月にフルアルバム『Soda Resort Journey』の2リリースを控える。今回は『Port Island』の曲名になっている各舞台の地を訪れながら、音楽のこと、神戸の街のこと、話を聞いた。
聞き手:エブリデ (wai wai music resort)

1. Tor ― トアロード



1959年のトアロードの様子。カバン店クロスのガラスにトアロードデリカテッセンの看板が反射して見える[1]。
2019年現在のトアロードの様子。奥にはYu-Koh 体験版が行われた音楽交流バーOtohatobaも顔をのぞかせている。

エブリデ:前作Port Islandについてですが、神戸の街について作品を作ろうと思ったのはどういうきっかけだったのでしょうか?
Tsudio Studio:もともとTenma Tenmaさんが『Kitahama』というE.P.を出していて自分の思い入れがある土地をテーマにアルバムを作るのって良いなと思って自分も住んでいる街、神戸を舞台に作品を作ってみたいという気持ちが出てきたのがはじまりですね。
エブリデ:『Kitahama』は(大阪市内の)キタの人の感覚があってとてもエモーショナルですよね。ツジオさんの前作『Port Island』の曲名は神戸の実際の地名などになっていると思いますが、地名はどういうチョイスなんでしょうか?
Tsudio Studio:地名は神戸をテーマにということでのチョイスですね。内容的には自分の中では関連があって、それぞれの場所で起こった物語という位置づけです。ただいわゆるご当地ソングにしたいわけではなく、そこが舞台になっている曲という感じなんです。曲の中で地名が出るのは今回は少し違うかなと。コンセプトも大事なんですけど、音楽自体の方がずっと重要なので。その方が自分の中でも長く歌えるかなというのもあります。
エブリデ:さらに架空の神戸、ですよね。不況も震災も悲惨な事件なんて無かった、都合の良いお洒落と恋の架空の街ともライナーにも書かれています。神戸の人にとって阪神淡路大震災は気持ちの中でも避けて通れない出来事だと思うのですが、震災前と震災後ではツジオさんの中で特別な区切りがあるのでしょうか?
Tsudio Studio:阪神淡路大震災は経験しましたが、震災が起きた時は自分はまだ子供だったので本当に悲惨な事が起きたんだなと理解できるまでには時間が掛かった気がします。両親が震災前の神戸はよかったって後ろ向きな発言をよくしていたのですが、震災後の神戸で思春期を過ごした自分としては複雑な思いもありました。じゃあそのよかった神戸がそのまま発展していったらどんな街になっていただろう?と。その違和感が「架空の神戸」というアイデアにつながったと思います。



2. Azur ― アジュール舞子



1985年時点のアジュール舞子近辺の地図。海は埋め立てされておらずビーチもない。また沿岸にはTsudio Studioの実家と伝説のレストラン「ウェザーレポート」があった[2]。
2018年時点のアジュール舞子近辺の地図。播磨灘を埋め立て人工的に造成された海岸がある。「ウェザーレポート」は既に閉業し、コンビニになっている[3]。

エブリデ:ツジオさんが最初に音楽に興味をもったきっかけは何だったんですか?
Tsudio Studio:僕たち世代はCD全盛期の世代で、音楽的に景気が良かったんですよ。音楽聴いているのがイケてるみたいなのは今の時代はそんなにないかもしれないですけど、僕が小学生くらいの時はそういう空気があって。みんな音楽聴いているみたいな感じだったんですよ。
エブリデ:神戸のどの辺りで青春時代を過ごしたのですか?
Tsudio Studio:僕はもともと神戸の西の端っこの舞子という場所で育ったんです。明石海峡大橋の建設と共に家の前に人工のビーチが出来たり、アウトレットモールが出来たり少しバブルの残り香の様な部分も感じながら幼少期〜思春期を過ごしました。家から自転車で15分くらいのところに個人経営のレンタルCD屋があったんですが、そこではCDが1枚100円で借りれるので、いろいろ借りてカセットにダビングして聞いてました。
エブリデ:今でこそサブスクとかありますけど当時CDだけですもんね。その頃は洋楽も聞かれていたんですか?
Tsudio Studio:当時ケーブルテレビでMTVが観れたので、洋楽のトップ50をチェックしてそれで気になったタイトルをレンタル屋さんに借りに行ってました。スペースシャワーTVのメガロマニアックスとかもよく見ていました。お兄ちゃんとかいれば多分いろいろ教えてくれるんでしょうけど、僕は一人っ子なので自分で調べていくしかないんですよね。その時は主にメロコアが好きで、中2ぐらいのときには近所の友達と集まってバンドでGreen DayとかThe Offspringとかをコピーしたりもしたんですが、だんだん僕はそんなヤンチャな感じじゃないなと思ってきて(笑)ある時MTVでMVがめちゃくちゃかっこいいバンドがいて、それがRadioheadでした。Radioheadは『The Bends』も『OK Computer』も『KID A』もリアルタイムで聴いてめちゃくちゃ好きでした。そこからトムヨークがよくフェイバリットにあげるAphex TwinとかAuthechreとかでWarpレコードに出会って。そこからメロコアじゃなくてこっちだなという感じになりました。その時オタクって言葉はなかったけど、完全に自分はこっちだなと(笑)
エブリデ:そこからエレクトロニカに傾倒し始めたんですか?
Tsudio Studio:そうですね。その友達とやってたバンドはコピーだけじゃなくてオリジナルも作ったりしてたんですけど、僕のやる気だけが異常にあって。みんなは音楽の練習もいいけどウイイレもやりたいとかね(笑)その過程でバンドで手に入れたカセットMTRが実質自分の独占状態になったので、中3くらいからそれを使って1人で多重録音してました。高校も部活には入らず、家に帰って音楽作ってました。そのときはエレクトロニカだけではなくて音楽に対する興味が爆発して、毎日高校の授業が終わったら制服のまま三宮のTSUTAYAに行って、洋楽のAの棚からZの棚まで順番に聴いていって気に入ったやつを借りてCDに焼くということをしてました。その時期は街で鳴ってる音楽が自分の知らない曲だったりするとストレスを感じたりして軽い音楽ノイローゼ状態でした。そのうちShazamが出来てその謎スキルが無駄になる事を当時の自分に教えたいです。
エブリデ:それはすごい!MTRではどういう音楽を作られていたんですか?
Tsudio Studio:高校の時はTortoiseやMice Paradeとかに影響を受けてエレクトロニカやポストロックっぽいインストを作ってたりしたんですけど、自分の音とプロの音が全然違うことに絶望してやっぱり録音って難しいんやなと。そこで壁にぶち当たったんです。
エブリデ:シカゴ音響派周りの影響はすごかったですよね、それをリアルタイムで!ただMTRは制約が多いから難しいでしょ。その時点ではDAWはまだ使ってないのですか?
Tsudio Studio:そのときはまだMTRとサンプラーですね。そこから大学に入学してそのあと大学1年のときにバイトしてCubaseを初めて買いました。MTRでできなかったことがなんでもできるのでこれからの時代はDAWやなと思いましたね。それで授業も出なくなったり(笑)楽しいけどDAWのスキルを習得するための苦しい時代でもありました。その過程で自分の作りたい音楽のために必要なスキルがわかったりとか、ボーカルを試してみたりとか。
エブリデ:ツジオさんはKAZURAMOSというバンドでの活動もされていたと思うんですが、それもその頃にはじめたのでしょうか?
Tsudio Studio:1人での表現を3、4年模索した後だと思います。JaccaPoPの2人と結成したバンドなんですけど、その二人も神戸出身でもともと知り合いだったんですよ。久々に再会したらお互い音楽活動をしていて。そこから2、3年くらい連絡取り合いながら制作をして曲も溜まってきてたのでそのバンド名義でデビューしました。その時初めて自分の作品が世の中に流通してとても嬉しかったですね。



3. Port Island ― ポートアイランド



1981年に開催された博覧会「ポートピア ‘81」の様子[4]
神戸ポートピアランド跡地に建つIKEA [5]

エブリデ: KAZURAMOSを聴くと今のツジオさんのサウンドとは大きく違う気がするのですが、『Port Island』ってその活動の延長で出来たものではなかったのですか?
Tsudio Studio:KAZURAMOSは当時の海外のビートミュージックシーンに強い影響を受けて制作してたので、確かに違いますね。その頃はエレクトロニカの硬くて複雑化した感じに飽きちゃって、Flying LotusとかHadson Mohawkとかグルーヴ感のある音楽に鮮度を感じて制作していました。 ただ、もともと昔から今シティポップと呼ばれている様な曲は好きでそういう曲も作っていたのですが、なかなかエレクトロニカ的なアレンジとはうまく混ざらなくてボツにしてたりしてました。最初に話した様に『Port Island』の構想自体はリリースの1年くらい前からあって、自分の中にあるAORとかシティポップっぽい要素を昇華したいという気持ちが出てきたんです。DTMのスキルも上がってきたし、エレクトロニカ的手法でごまかしていたのをちゃんとできるようになったので、今ならポップス的なアプローチだけじゃない現代の最新サウンドを盛り込んだ自分の理想の音楽が作れると思って制作に着手しました。
エブリデ: なるほど。たしかにポップス的なシティポップへのアプローチではないですね。
Tsudio Studio:もろにシティポップのリバイバルとかは年齢的な事もあると思いますが、それでええんやろかって感じはちょっとするんですよ。技術的には本当にすごいと思うけど、様式が決まっていて再生産しやすい音楽なので。僕はポップス以外にも最新の手法を使ったビートミュージックがすごく好きなので、その上にシティポップが流れているというのが最初の構想ですね。
エブリデ:とてもよくわかります。僕も近年のシティポップの再生産みたいなものが嫌になってしまったので、シティポップの源流みたいなところから昔の人と同じ視点に立って新しい音楽を作ろうとする姿勢になりました。僕の場合もその過程にはVaporwaveみたいなものの影響があったんですが、ツジオさんもありますか?
Tsudio Studio:もちろんありますね。例えばVaporwaveの派生ジャンルであるFuture Funkって昔のシティポップを打ち込みのリズムで強化するっていう作りですけど、昔の曲のサンプリングと打ち込みがこんなに合うんだというアイデア的な部分でとても影響を受けました。ただ、サンプリングで昔の曲をまんま引っ張ってきて打ち込みを入れるのではなくて、自分で最初から歌モノを作ってビートミュージックを組み合わせるということがしたかったんですよ。自分で1から作りたいというのはアーティストとしてのエゴで、音楽的な結果にはあまり関係がないかもしれませんけど、私はそのほうが作っていて楽しいです。
エブリデ: なるほど。ツジオさんのアレンジからはFuture Funkとかで元ネタになっているような邦楽のAORとかいわゆるシティポップだけではなく、洋楽のフュージョンやファンクの影響をすごく感じるんですが、そのあたりはどうでしょうか?
Tsudio Studio:もともとが洋楽志向なので普段から80年代のアメリカのAORはよく聴いています。ファンク的な影響はプリンスがすごく好きなのでそこから受けた感じですね。特に『Sign Of The Times』という二枚組のアルバムは自分の中で特別なアルバムです。ホーンアレンジは洋楽だとDavid Sanbornを筆頭にフュージョンからとても影響を受けています。邦楽ではやはり山下達郎とか竹内まりやなどの80年代の曲の間奏で流れるサックスソロが大好きです。




>次ページ「4. Snowfall Seaside ― 国道2号線」へ





『Port Island』/ Tsudio Studio
2019年11/3リリース
フォーマット:LP
レーベル:Sailyard
カタログNo.:SLYD-014
価格:¥2,900(税別)
【Track List】
side-A:
1. Tor
2. Azur
3. Port Island
4. Snowfall Seaside
5. Mikage
6. Hotel Oriental
side-B
1. Azur (Pictured Resort Remix)
2. Mikage (wai wai music resort Remix)
3. Azur (Tenma Tenma Remix)
4. Port Island (ゆnovation Remix)
レコードの日オフィシャルサイト


『Tsudio Studio ポートアイランド レコード発売記念インストアライブ』
2019年11/3(日)大阪南堀江 fastcut Records
Start 19:00
入場無料

1 2

2019.10.29 12:00

カテゴリ:INTERVIEW, PU2 タグ:, , , , ,