【INTERVIEW】錯乱前戦『あッ!』

わずか19歳前後の若人が、この2018年に、ここまでドストレートなパンク&ロッキンロールをやるとは、誰が想像していたであろうか。

今回の主役、錯乱前戦。インタビュー中にも答えているが、この2018年にようやく20歳を迎える彼らは、『日本でCDが最も売れた年』とされている1998年に生を授かった5人組バンドだ。

対外のライブ活動を禁止されていた高校時代から、一気に「SUMMER SONIC 2017」へと出演したことで、一気に難しい局面に陥った彼ら。今年2018年にはいって、ひとつずつひとつずつ、着実にライブ活動を重ね、名実ともに『ライジングスター』と言えよう活躍をライブシーンに見せている。

そんな彼らの、仲睦まじくも、初々しいやりとりのおかげで、インタビューも笑いの絶えないものになったし、周りへの視線、そして自分たちに向ける強い視線を、感じられる内容になっていると思う。

さて、先に申しておきたい。

実はこのインタビューは2回に渡っている、ボーカルの山本が『インタビューのことをすっかり忘れていた』ということで大遅刻してしまったのだ。
1つは山本くんとの対面形式、もう1つは山本くん以外の4人のメンバーとのインタビューの2つに別れているのを、あらかじめご了承ください。

おまけに、こうしてインタビューを作成している合間に、『新作を発表します!』とアナウンスが・・・しかも自主制作盤も廃盤に・・・あれ・・・このインタビューではそんなところまで話していなかったんだけども……!?

ともあれ、彼らのこれまでから、自分たちが見据える目標まで、幅広く話してもらった。

「サマソニに出られたというのが、大きな転換になったし、苦悩の始まりでもあるというか……」(佐野)

–:今回インタビューをしましょう!と声をかけて、9月にやるというのを決めたのが僕だったんですが、決めたあとに後悔してしまいました……9月にいくつライブをこなしたんでしたっけ?
成田(Gt.):10本?
森田(Gt.):そうだね。
–:おとといにはりんご音楽祭に出たんですよね?
佐野(Ba.):そうですね。
–:そんな合間をぬって、インタビューを受けてもらうのは本当に嬉しいことです。なので、ズバっと最初からお聞きしたいんですけど、ここ1年……サマソニに出てからの1年は本当に破竹の勢いでライブ活動に突入していったと思うんだけど、この1年を振り返ってみて、どう思いますか?
成田:最近は本当に思うのが、お客さんが増えてきたなということ、良いイベントに呼ばれて、お客さんの多いイベントに呼ばれるようになったことです。
天野(Dr.):それに伴って、ライブを楽しむことも増えたよね。カッコイイバンドと対バンできることも増えてきて、もっとうまくドラムをたたけたり、カッコイイライブをどんどんやりたいなという欲求が強くなってます。
森田:声が小さくなって言ってんじゃん(笑)
天野:話してたらちょっと恥ずかしくなっちゃって(笑)
–:なるほどです。佐野さんはいかがでしょう?
佐野:うーん、半年前に比べたらだいぶ良くはなってきたと思ってます。半年前までは、4人で活動しなくちゃいけない状況だったし、その頃は課題しか残らない日々だったので。
–:1年前からはどんどんと状況が好転していっているということで、そんな錯乱前戦の昔をお聞きしたいんですけども。どういった流れで結成したんでしょうか?
成田:結成のきっかけは、入学した都立高校がたまたまいっしょで、たまたま軽音楽部に入って、たまたま5人でバンドを組んだってとこですね。みんな同い年ですよ。
–:問題なければ答えてもらえると嬉しいんだけど、何年うまれなの?
成田:98年生まれですね。
森田:同い年ですよ、5人全員。
–:ということはまだ10代のメンバーもいるの?
成田:何人かはそうですね。
–:いやー若いな……(笑)ということは2013年14年ごろかな?
成田:それくらいだったっけ?
佐野:2014年くらいじゃない?履歴書に書いた覚えあるよ。
森田:それ数え年とかじゃない?2013年くらいでしょ?
成田:んーーーーー……わかんねぇや!!(笑)
一同:(笑)
–:すぐ最近のことじゃないですか(笑)その時に5人とは初対面だったの?
成田:ぼくと佐野は小学校が一緒だったんですよ。中学校は別だったんですけど、塾が一緒で、たまたま同じ高校を受験して受かったんですよね。
–:で、たまたまお互い音楽好きだったと
成田:たまたま軽音楽部にいましたね(笑)ほんとたまたま再び会ったんですよね。ぼくと佐野ちゃん以外は、本当に初めて会った同士だったと思います。そのあと、ぼくと天野が一緒のクラス、モーリー(注:森田のこと)と山本が一緒のクラス同士で仲良くなったんですよ。
–:5人で組んだきっかけやタイミングって、どういう流れだったの?
成田:夏前だったと思うんですよ、5人で組んだのは。でも……。
森田:ちょっと説明むずかしいよね。
成田:まず、当時は男だけでやりたかったという感じがあったんです。ぼくと天野と佐野でつるんで仲良くしていて、モーリーと山本が入ってきて、『男だけで組めるぞ!』と思い切って組んでみたというのが流れです。でも今となっては、女性がいてもいいかなぁ……とは思ったりしますよ(笑)
森田:ファンクバンドみたいな感じよね。でもオレは今のままがいいかなぁ……。
成田:最初はコピバンをやっていたんですよ、KANA-BOONが流行っていたんでやっていたりしましたよ。
森田:思い出した、オレと佐野ちゃんはブルーハーツやってたね。
佐野:そうだわ、懐かしいね(笑)「リンダリンダ」やってたよね?
森田:そうそうそう
成田:ぼくと山本はGreen Dayやってたわ
森田:オレは「少女S」やってた(SCANDALの楽曲)(笑)実はうちの軽音部って「オリジナル曲をやらないとライブに出ちゃいけない」ってルールがあったんですよ。



–:マジで?それは面白いけど、厳しいですね。
成田:それに楽器を持ったのも高校からだったんですよ、みんな。
–:じゃあ高校から楽器始めたような、楽器歴半年の人らに、「ライブに出るならオリジナル楽曲をつくれ!」と言ってたということ?
森田:そうですね(笑)
–:酷じゃない!?(笑)
成田:そうなんですよ(笑)だから、1年生が初めて作った楽曲って、結構しょうもないものが出てきちゃうんですよね。いま思い返してみても、そういう時期もあったよなと感じられますけどね。
–:それまで楽器をいっさい触れてこなかったのに、音楽が好きって気持ちだけで軽音部に入るって、やっぱり勇気や意気込みがないとできないと思うんだけど、なにか心当たりになるようなことがあったんですか?
成田:中学二年生のときなんですけど、音楽の先生がクラシックギターを教室に置いていたんです。クラスの陽気な人たちは、勝手に取っていって、テキトーにジャカジャカ弾いていたんですけど、僕はちょっと陰気だったので、「いいなぁ」と思いつつ、「あのギターをめちゃくちゃかっこよく弾けたらな……」とずっと妄想していて、めちゃめちゃ弾きたいって気持ちがあったんです。中学三年になったとき、父さんがすっごい安い初心者用ギターを買ってもらって……そこがスタート地点ですね。
佐野:ぼくは、正直ベースでもなんでも良かったんですよね。軽音楽部に入るきっかけは……小学校でサッカー、中学校で野球をやっていたんですけど、途中で飽きちゃったんですよね。中学卒業間近になって、「高校に入ったら何しようかな」とトイレ掃除のときに考えてて、ふと鏡を見たら、その時まさにギターを持っているような格好をしている自分を見て、「音楽好きだし、軽音部に入ってみるか!」と思い切ったことが大きいですね。軽音部に入ったとき、「ドラムやってみたいな」と思っていたんですけど、成田に「ベースをやってほしい」と頼まれて、「いいよ!!」と答えたのが、ベースを始めたのがきっかけなんですよ(笑)
成田:そういえばそうだったね(笑)「ベースやんなよー」って軽い感じで言ったんですよ、その時。
–:ひょんなところから始まったんですね。森田くんは?
森田:もともとは中学生の時、レッド・ツェッペリンを聴いたことがきっかけなんです。ライブ映像や音源を見たり聴きまくっていて、次第に「もしかして、ジミー・ペイジってめちゃくちゃカッコよく弾くけど、そこまで巧くないんじゃないか?」「これならオレでも弾けるだろ」と思ってギターをやりたくなったんです、中三のころだったと思いますね……今ではそんなこと全然思ってないですけどね(笑)ギターは親父がレスポールを持っていて、少しずつ触れていった感じですね。
成田:モーリーは、最初っから軽音部入ろうって思ってた?
森田:いや、ぜんぜんそうじゃなかったんだよ。ほかの部活も見て回って、「あんまり楽しく無さそうだ」って思っていて、軽音部に決めたんだよね。
成田:そうなんだ、ちょっと意外だ。ぼくは「絶対軽音部です!」って言い切れなくて、「野球部か軽音部に入ります」って遠慮しちゃってたんだよね……(笑)
天野:オレは中二のときに太鼓の達人をめっちゃやっていた時期があって、その時にX JAPANの『紅』にめちゃくちゃハマってたんです。そこから、X JAPANやYOSHIKIさんのことを好きになって、高校行っても「ドラムが叩いてみたい」って気持ちが強かったので、軽音部にはいったんですよ。そこはブレなかったんですよね。
–:なるほどね。みんな本当に高校のときに初めて楽器を持って、演奏を始めたわけなんだ。
佐野:それまで、ギターとベースの違いもわかんなかったくらいですもん。
天野:そうだね、確かに。
森田:オレも高校から弾き始めて初めて「ツェッペリンむずっ!!」って思いましたよ(笑)
成田:なかなかないよね、ジミー・ペイジを聴いて「あんなの簡単だ!オレでも弾ける!」って思うのは(笑)
–:そうだね(笑)でも、そこからオリジナルを作っていくのは本当にすごいと思いますよ。いまはどんな音楽が好きなの?
天野:レッドツェッペリンですね。
森田:オレが宣教したからね(笑)
天野:あと、台風クラブはいまメンバーみんな好きです。ヘビロテしてます。
成田:村八分っぽい感じがしたんだよね。
佐野:(Apple Musicをいじる)The Storkesを最近聴いてますよ。
–:おぉ~。この質問してみんなApple MusicとSpotifyいじり始めてるの、すごい光景だ(笑)









天野:オレは2を聴いてます。The SALOVERSの古舘さんとポニーテールスクライムの加藤さんが組んだバンドで、去年から活動してるんです。
成田:今年の夏は、ストーンズとフィッシュマンズとカネコアヤノを聴いてました。
森田:カネコアヤノさんはわかる、めっちゃ好きです。成田の家にレコードが聴ける環境があるんですけど、最近レコードでThe Eaglesを聴いてます。中学高校のときに聴いてたんですけど、最近またハマってしまって、思い切って買ってみたんですよ。やっぱり、カッコイイバンドを探して聴いていってますね。
–:もうちょっとストレートに聴きますけど、いまのバンドと昔のバンド、どっちから学ぶことが多いですか?
全員:昔のバンドですね。
–:おお、即答。メンバーのなかでリスペクトしているバンドはいますか?
成田:これは前に山本とも話したこともあることなんですけど、僕らが共通して好きなのはハイロウズなんですよね。あいつと話していて面白いのは、ハイロウズはパクリ方やオマージュが巧いってことです。「ここの部分はあのバンドのあそこの部分」っていうのがめちゃくちゃ出てくるんですよ。ライブ直前になると、メンバーみんなでハイロウズのライブをみてテンションあげてたりしますしね。今年の夏になってまたハイロウズを聴き直してますしね。
–:森田くんは個人的にどうなの?あ、封じ手としてレッド・ツェッペリンは無しでお願いします(笑)
森田:えぇ……ジミー・ヘンドリックスですかね。真似ができないっていうところが大きいです。
佐野:ぼくはRCサクセションですね、ライブに行くときとかにも聴いてました。忌野清志郎さんのボーカルがすごい好きなんですよ。
天野:うーーーん……銀杏ボーイズですかね。山本に「夢で会えたら」を勧められて聴いて、初めてパンクロックに出会ったんです。「やべぇなぁ……なんでこんなにカッコイイんだろ?」って思ってから、ずっと憧れのバンドですね。



–:なるほどです。錯乱前戦っていうバンド名は、どんな流れでつけられたの?
成田:最初、バンド名を決めなくちゃいけないと思って、色々あげていったんです。ロケットボーイズとか色々、いま思えばしょうもないものばっかりあがったんですよ。そのなかで山本が「さくらんボーイズ」ってどう?といってきて、サクランボの絵とか書いたものをLINEのグループトークに送ってきて、みんなで「いいじゃん!」となったのが始まりなんです。
佐野:それが一回否定されたんだよね。バンド名を決めるにも、許可が必要だったんです。
森田:そうそう、バンド面接っていうのが軽音部にあったんです、顧問の先生と部長たちなどと面談をするっていうのが。
–:うーわなんだそれ……(笑)
成田:部長・副部長・顧問の先生に、「僕らでバンドを組みます」「バンド名は○○です」「これこれこういう趣旨で、バンドをやっていきたいと思います!」っていうことを説明するんですよ。
–:意識たかいなぁっ!(笑)
一同:(笑)
佐野:まぁ、部活動だからという面があったからですよね。
成田:そこで「さくらんボーイズ」ですって伝えたら……。
森田:「卑猥だねぇ」
成田:っていう風に言われて(笑)確かにチェリーボーイ要素があるのも確かで、「もし君たちがこの学校を代表して大会などに出るなら、ちょっとこの名前はイヤだね」と言われ、却下されたんですよ。
森田:そこから考え直すとき、「さくらん」っていうのは入れたいねと話し合って、そこから色々と言葉を探していったんですよ。四文字熟語でバンドを組むのが部内でブームになっていて、そこにもあやかりつつ、最後に決まったのが「錯乱前戦」だったんです。桜前線とかぶらせているのは、正直とってつけた感じなんですよ。
–:深い意味とかも特にはないんだ?
成田:さっき言ったバンド面接を通るための理由はいくらか作りましたけど、特に深いことは……「ロックシーンの最前線で戦っていきたい!」というようなことを言いましたよ、面接では。
–:いまは大学生として過ごしているわけですけど、大学入学や高校卒業のタイミングでバンドを解散したり、活動を止めるということもありえたかもしれないわけですよね?どうしてこのバンドを続けようとおもったのでしょうか?
成田:当時仲が良かったバンドととの3マンライブが6月にあって、4月から大学に入ったあともバンド練習をしつづけていたんです。そのライブのあと、ライブ会場になっていた下北沢のライブハウスの方から「うちのライブイベントにでないか?」と言われて、ちょくちょく出ていくことになったんです。そうしているなかで、付き合いのあった方から「試しに『出れんのか!?サマソニ』のオーディション受けてみないか?」と言われて受けてみたら……本当に受かってしまったんですよね。
–:……あれ!?それって去年のお話でしたよね!?
佐野:そうですよ(笑)驚きますよねやっぱり。
森田:ああそうか、しかも3マンでのライブが、初めてのライブ活動になったわけだ。
成田:そうそう。うちの部活ルールとして、『外でのライブ活動はしてはいけない』というルールがあったので、ライブハウスでのライブ活動は一切してなかったんですよ。本当に内々のものでやるだけでしたね。
–:高校3年間の修練を経て、世に放たれたわけですね。
森田:ポイッてね(笑)
–:そんな軽く言わなくても(笑)3年間様々なことを学んできて、大人たちと一緒にライブをしたら一気に抜いていった……ここまでの話を聞くと、競馬でいうサラブレッドみたいなもんじゃないですか。
佐野:でも僕らにとって、サマソニに出られたというのが、大きな転換になったし、苦悩の始まりでもあるというか……。
–:そこからどう変わっていったんでしょう?
佐野:サマソニに出たことで、まずバンドは続けようということになったんです。そこから、「とにかくライブ活動をしなくちゃいけない!」と思って、一気にライブ活動を始めていったんです、だいたい去年の秋ごろからだったと思います。でも、モーリーが浪人生ということで試験勉強に打ち込み始めて、4人で活動をしなくちゃいけなくなったので、メンバーが1人減った。加えて、サマソニ効果もあってか、大きなライブハウスに呼ばれるんですけど、客が3人とかしかいない……みたいな状況で。
天野:かなりキツかったですね。
佐野:本当にキツかったです。それも今年の1月くらいまで続いていたと思います。ひとつずつひとつずつ、いろんなライブハウスに行って、いろんなイベントにでて、いろんな人と仲良くなっていって、ライブイベントにどんどんと呼ばれるようになってきたタイミングで、モーリーが戻ってきたんだよね。
–:ラッキーボーイみたいな感じじゃないですか(笑)
森田:良いときに帰ってきただけですよ(笑)
佐野:そこで5人になったことで、よりよいライブができるようになれたというのはありますね。ギターが2本あるといろんなアレンジが効くし。
成田:実際、5人のときのほうがやっていて満足感が違うんですよね。
天野:お客さんも盛り上がるし
森田:嬉しいですね、メンバーから5人のほうが良いってここまで言ってもらえると。

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2018.11.9 22:00

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