【INTERVIEW】CICADA『Loud Colors』

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2010年以降、東京と関西を中心にしたインディバンドの興隆/ムーブメントを振り返れば、
バンド≠ロックという暗黙がどことなく浮かび上がり、同時に、華やかかつ躍動的なショーを目指したアクトが多かった。
CICADAは、そうした活況に満ちたムーブメントからをも自らを遠ざけつつも、
ブラックミュージックを中心にした音楽愛とフレイヴァーを血肉化し、
東京の闇に光を照らそうとするバンドとして名乗りを上げることになった。
昨年2月に発売されたファーストフルアルバム『BED ROOM』から今年4月に新作『Loud Color』の発売に至るまで、鋭さを増していく彼らのスタイル、
その始まりと現在を聞くことができた。

おじいちゃんが音楽やりたいなら仕事なんてするんじゃないと言ってくれたりして。家族が工面してくれたのが大きかったです。(若林)

2012年からこれまで3年ほど活動を続けてきたということですが、どういった形でメンバーが出会ったんでしょうか?。
若林とも (Gt&Key 以下若林):2012年に僕がmixiでメンバー募集をして、木村くんと最初に出会って、城戸ちゃんと櫃田ともちょっと後に出会って活動をしていました。及川は木村くんが誘ってきてくれたメンバーで、2013年から5人で活動をしてきました。
なるほどです。それまではどういった形で音楽と関わってきたんでしょうか?
櫃田良輔 (Dr 以下櫃田):僕は小学校の時にブラスバンドに入ったのが始まりですね。ドラムをやるようになったのは中2の頃から、ヤマハで習い始めたんです。僕はその時には広島住んでいたんですけど、(当時)組んでいたバンドのメンバーが進学するので大阪へと移住し、そのあと同じメンバーと共に上京してきたんです。
その時は既に現在のCICADAのようなバンドだったんですか?
櫃田: 全く違いますね。当時やっていたバンドは4つ打ちのポップバンドみたいな感じですね。
城戸あき子(Vo 以下城戸): あれだよね。ダンスロック的な音だったよね。
若林:ウルフルズとか歌モノロック、っていう感じのバンドだったね。
櫃田: そうだね。逆にCICADAのようなサウンドは全く知らなかったですし、通ってなかったんですよね。
城戸さんはどうだったんでしょうか?
城戸:わたしは大学の音楽サークルでコピーバンドをずっとやっていて、いざ大学を卒業するというときに本格的にやってみたいなと思ったのがきっかけですね。それまでは音楽をやっていこうとは全然思ってなかったんですけど。
櫃田: 初めてのバンドだもんね。
城戸:そうなんです!。
若林さんはどうでしょうか?
若林:中学1年のときにギターを始めたのがきっかけですね。高校卒業ともにこっちに上京してきました。
ということは櫃田さんのようにバンドとともに上京とか、進学して上京ということでなく
若林:そのまま単身で上京してきて、『さてどうやってやっていこうかなー?』って(笑)
いやいや、漫画みたいじゃないですか(笑)木村さんはどうでしょうか?
木村朝教 (Ba 以下木村):兄がドラムをやっていて、その影響で音楽を聴くようになった中学の頃からベースを弾くようになりました。バンド活動を始めたのは高校の頃からで、大学の頃にはサポートミュージシャンとして仕事を幾つかもらうようになったんです。あと、もともと僕がやっていたバンドでギター/キーボードが抜けてしまったことがあって、そこで目をつけたのが若林で、最初は僕から声をかけたんです。
CICADAを組む以前のお話ですね
木村:そうですね。その時は2度3度ライブをやって、『自分の活動を追求したい』と言われて離れてしまったんですが、それから2年後に彼から連絡が来て、『ベースをやってくれないか?』と言われたのは嬉しかったですね。
及川さんはいかがでしょうか?
及川:小学校のときにピアノを習っていて、中3のときにドラムを叩いてましたね。
櫃田: 元はドラマーだよね。
及川:当時はスラッシュメタルとかヘビーメタルバンドを組んでたんです。それ以降はずっとキーボードですね。今でも暇な時間ではスタジオとかでもドラム叩いてることが多いですね。
及川さんは若林さんとともにこのバンドのコンポーザーですが、作曲する時はドラムから入る感じなんですか?
及川:確かにそうですね。打ち込みでドラムフレーズを作るのが始まりになりますね。やっぱりドラムがカッコよくないと曲もカッコいいものにならないと思うので。
CICADAというバンド名にした理由はなんでしょうか?直訳すると「セミ」という意味になりますが
若林:スーパーファミコンの『フロントミッション』というゲームが好きだったんです。そのシリーズにある『フロントミッション オルタナティブ』に出てくるロボットから取ったんですよ。
すごく懐かしい(笑)ゲームはお好きなんですか?
若林:ゲームは大好きですね。上京してからずーっとやってましたね。
音楽やりたくて上京してきて、仕事やバイトしつつ、ゲームをして音楽して・・・
木村:バイトもしてないでしょ?(笑)
若林:してないね(笑)おじいちゃんが音楽やりたいなら仕事なんてするんじゃないと言ってくれたりして。家族が工面してくれたのが大きかったです。
好きな音楽や影響を受けた音楽を一つあげるとすると誰でしょう?
若林:最近よく聴いている、という意味ではZeebraをよく聞いてます。KGDRのファーストアルバム『空からの力』も聴きますし、ソロ作品だと『THE RHYME ANIMAL』、新しく発売されたアルバム『25 To Life』もよく聞きますね。

木村:僕はRed Hot Chili Peppersがすごく好きで影響を受けてます、ライブも何度か行ったことありますね。Fleaが一番好きで、ソウルミュージックやファンクを聴くようになって、FunkadelicやSly & The Family Stoneを聴くようになりましたね。テクノのような、バンドものとは違う音も全然聴いてたりもします。
Derrick Mayとか?
木村:Derrick Mayは若林から教えてもらいましたね。UnderworldやChemical Brothers、一番最初に聞いたのはThe Prodigyでしたね。でもやっぱり、一番好きなのはRed Hot Chili Peppersですね。

ありがとうございます。若林さんはいかがでしょう?
若林:好きなのはいっぱいありますけど、最近iPodで一番聴いているという意味でASIAN KUNG-FU GENERATIONですね。「新世紀のラブソング」をよく聴いてます。
『マジックディスク』ですね。世代としてよく聴いていたんでしょうか?
若林:僕はもうちょっと後の世代なので、AIR-JAMをモロに直撃した世代ですね。でもあの当時思い出してみると、X JAPANを主にずっと聴いてました。
そこからDerrick Mayへとつながるところに、大きな変遷がありそうですね。
若林:音楽いっぱい聴いてみようと思って有名どころを手あたり次第に聴いた時があったんです。そのなかにNirvanaの『In Utero』を聴いてクリティカルヒットして、そのおかげで「より聴いていこう」と思えたんです。ちょうどその頃はロックンロールリバイバルが流行っていたこともあり、海外の音楽がどんどん広まっていた時期でもあったのは大きかったですね。

城戸さんはいかがでしょう?
城戸:いま私が目指してるのはエリカ・バドゥなんです。それまでのコピーバンドでは日本のポップスをやることが多かったんですが、StarFes.’14で彼女を見て、ボーカリストとしての存在感や色気に衝撃を受けて、彼女みたいになれればとも思ってます。メンバーからはいつも色気がないとか言われてますし(笑)そういうものを出せたらと思ってます。

木村:一緒に見に行ったよね
城戸:そうだね。2人でね。
なるほどです。櫃田さんはどうでしょうか?
櫃田:ぼくはマーク・コレンバーグですね。創ちゃん(及川)が入ってきたとき、ロバート・グラスパーを薦められて聴いたのですが、そのアルバムでドラムを叩いているクリス・デイヴを聴いて「ドラムでこんなことができる人がいるのか」と知ったんです。その後に出たグラスパーの作品を聴いたときにはマーク・コレンバーグがドラムを叩いていて(Robert Glasper Experiment 『Black Radio2』 2013年発売)。彼が叩いてる姿を見たくてyoutubeで探して見たら、もう衝撃でした。
どんな風に見えたんですか?
櫃田:僕、美しいのが好きなんですよ。ツイッターとかでもよく使うんですけど
城戸:使うね、「美しい」って(笑)
櫃田:音も、フォームも、全部が合わさって美術品のように完成されたドラムをたたいてるんですよね。僕はいまあの人のようになりたくて叩いてます。

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彼らもカッコイイ、オレらCICADAもカッコイイ

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2016.3.19 0:00

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